富田 一彦(とみた かずひこ、1965年 - )は、日本のプ… 富田 一彦(とみた かずひこ、1965年 - )は、日本のプロダクトデザイナー。食器や家具などのデザインを手掛け、グッドデザイン賞をはじめ、ドイツ・デザインプラス賞(ドイツ語版)など国際的な賞も数多く受賞している。 長崎県長崎市出身。長崎県立長崎東高等学校を経て、千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA、王立美術大学院)へ留学。同大学修了後、イタリア・ミラノに自身のアトリエ「意匠二次元半」を設立し、2010年まで現地を拠点として作品制作に取り組んだ。その間、日本の伝統工芸品である漆器を用いたデザインブランド「NUSSHA」およびCOVO社(ローマ)のアートディレクターを務めたほか、ローマ大学工業デザイン科において非常勤講師を担当した。
岡本 一宣(おかもと いっせん、1951年 - )は日本のア… 岡本 一宣(おかもと いっせん、1951年 - )は日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー、出版プロデューサーである。エディトリアル・デザインを中心として、一般誌、PR誌、写真集から書籍などのアートディレクション及びデザインを行っている。長崎県長崎市出身。 企業のCI、VIそれに伴うコンセプト作り、企業のロゴマーク開発、会社案内などビジュアル制作や広告制作なども手掛けている。「美は存在の力」を念頭に、現在進行形型のデザインファクトリーにて活動。進化するさまざまな文化を伝達する道具としての「日本グラフィック・デザイン技術」を日々開発、完成を目指している。
船橋 芳信(ふなばし よしのぶ、1950年 - )は、日本の… 船橋 芳信(ふなばし よしのぶ、1950年 - )は、日本のファッションデザイナー・パタンナー。イタリア・ミラノ在住。ファッションブランド「スタジオ イプシロン」を設立した。 1950年、洋服の仕立職人の長男として長崎県長崎市に生まれる。長崎県立長崎東高等学校を経て、早稲田大学第二文学部に進学。浅利誠の誘いを受けて劇団に入り、幼少期から触れていたミシンの技術を生かして舞台衣装を制作する中で、服作りに興味を持つようになったという。大学卒業後、型紙(パターン)の技術を習得したいと伊東茂平衣服研究所へ通い修了、パターンを作るメーカーに就職した。 1980年にイタリアへ渡り、ボローニャのメーカーと契約してコレクションに参加するようになった。
俣野 努(またの つとむ、1947年 - 2025年9月20… 俣野 努(またの つとむ、1947年 - 2025年9月20日)は、日本のカーデザイナー。長崎市生まれ、東京育ち。アメリカではトム・マタノ(Tom Matano)と呼ばれている(日本語では「トム俣野」とも表記)。 成蹊大学工学部に在籍していたが中退し、人づてに渡米方法を模索し貨物船に乗船させてもらい渡米。アートセンター・カレッジ・オブ・デザインへ留学し学位を取得。1974年にGMに入社。その後BMWに移籍し、3シリーズを手がける。その実績が評価されマツダに招かれ、初代ユーノス・ロードスター、RX-7のオリジナルデザインを手がける。 俣野 務がマツダ㈱に移籍することになるのはマツダ㈱北米事務所に在籍していたボブホールによる紹介である。
吉田 佳広(よしだ よしひろ、1933年 - 2016年3月… 吉田 佳広(よしだ よしひろ、1933年 - 2016年3月15日)は、日本のグラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会会員。長崎県出身。 1933年ソウル生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、中央大学法学部卒業後、高橋正人デザイン研究所を修了した。日本アートデザインへの勤務を経て、1966年に吉田佳広デザイン研究室を設立した。ヴィジュアルデザイン研究所、岡山大学教育学部、東京造形大学で講師を務めたほか、実用技能検定協会理事、日本フォントコンテンツ文化協会理事、レタリング技能検定中央試験委員長などを歴任した。 東京アートディレクターズクラブ(ADC)賞、全日本シーエム放送連盟(ACC)賞、ニューヨークタイプディレクターズクラブ展(N.Y.TDC展)入賞、電通賞、日本タイポグラフィ年鑑ベストワーク賞などデザインに係わる賞のほか、文部科学省から社会教育功労者賞を受けた。
富永 直樹(とみなが なおき、本名 富永 良雄、1913年(… 富永 直樹(とみなが なおき、本名 富永 良雄、1913年(大正2年)5月18日 - 2006年(平成18年)4月11日)は、日本の彫刻家、三洋電機の工業デザイナー。長崎県長崎市生まれ。叙従三位。 東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科塑像部首席卒業。同校では北村西望、朝倉文夫、建畠大夢が教鞭をとっており、特に北村西望に師事した。〈在学中の1936年(昭和11年)に日展の前身、文展に「F子の首」(長崎県美術館蔵)にて初入選して以来、日展を主な舞台に活躍した。1950年(昭和25年)から1952年(昭和27年)にかけ、3年連続で日展の特選を受賞〉。同研究科卒業。 1972年(昭和47年)日本芸術院賞受賞。
藤原 太一(ふじわら たいち、1900年1月8日 - 199… 藤原 太一(ふじわら たいち、1900年1月8日 - 1990年1月)は、日本のグラフィックデザイナー。著書『図案化せる実用文字』(1925年)と『絵を配した図案文字』(1926年)によって知られる。長崎県南松浦郡福江村(現在の五島市)出身で、関西を拠点として活動した。 1900年(明治33年)1月8日、五島列島を構成する福江島の福江村において生まれる。中学校卒業後に上阪し、1918年(大正7年)にデザイナーとして森下博薬房(森下仁丹)広告部に入社する。 1925年(大正14年)12月、大鐙閣から著書『図案化せる実用文字』が刊行された。本書は独学で広告図案を研究していた藤原による文字デザインを集成したものであり、藤原は「集の初めに」において「今日この種の参考書が、かなり必要にせまられてゐるにも拘らず未だかうしたものゝ完全な出版を見ない」とし、「図案文字発達上の一基礎ともなり、刺戟ともならば、幸ひ此の上なきこと」であると述べている。