都留 仙次(つる せんじ、1884年1月20日 - 1964… 都留 仙次(つる せんじ、1884年1月20日 - 1964年1月20日)は、日本の神学者、牧師、明治学院院長。 都留音平の息子として大分県宇佐郡宇佐町(現・宇佐市)に生まれる。長崎市のアメリカ・オランダ改革派教会系のミッションスクールの東山学院で学び、一致長崎教会で瀬川浅から洗礼を受ける。 明治学院高等部、神学部で学び井深梶之助、熊野雄七らの影響を受け、1907年に卒業する。スコットランドのオーボルン神学校に留学し、旧約学を学ぶ。1911年に帰国し、明治学院で旧約学を教えた。1913年、按手礼を受けて牧師になる。 1921年から4年間明治学院高等部長を兼任する。関東大震災の時に2名の朝鮮人学生をかくまう。
富永 徳磨(とみなが とくま、1875年10月19日 - 1… 富永 徳磨(とみなが とくま、1875年10月19日 - 1930年4月30日)は駒込基督会牧師。 八木重吉に洗礼を授けたことでも知られる。 主著『基督の新精神』。黎明会の会員でもあった。 1875年(明治8年)大分県南海部郡佐伯町(現佐伯市)に生まれる。佐伯小学校を経て、藩校の鶴谷学館で学ぶ。1891年に佐伯教会で洗礼を受ける。鶴谷学館に在学中に、教師として薫陶を受けた国木田独歩の影響を受けて、1894年(明治27年)国木田と共に上京する。 植村正久のもとで神学、聖書を学ぶ、1901年(明治34年)に按手礼を受けて、日本基督教会の牧師になる。1903年(明治36年)に金沢石浦教会(現・日本基督教団金沢教会)の牧師に就任する。
釘宮 辰生(くぎみや ときお、1872年4月20日(明治5年… 釘宮 辰生(くぎみや ときお、1872年4月20日(明治5年3月13日) - 1947年(昭和22年)9月13日)は、日本の牧師、アメリカ南メソヂスト監督教会の最初の日本人監督。祈りの生涯を送った。関西学院との繋がりが強い。 大分県北海部郡海添村内畑(現臼杵市)に、釘宮伝四郎を父、シゲを母として生まれた。幼名は和作。父は役所で土木関係の仕事をしていたが、大分県での勤務を命ぜられ、大分へ移った。そして、転勤のために小倉県、福岡県、さらに対馬に引っ越した。1882年再び大分に戻り、父は別府浜脇の村役場に勤めた。1885年に父親が急死した。残された母と祖母と辰生の3人家族で貧しい生活を始めた。 明治18年(1885年)に大分尋常中学校が新設された。
留川 一路(とめかわ いちろ、1854年3月17日(安政元年… 留川 一路(とめかわ いちろ、1854年3月17日(安政元年2月19日) - 没年不詳)は日本基督教会の牧師である。 山脇藤吉、ブンの次男として、豊前国中津(現・大分県中津市)に生まれ、留川家の養子になる。留川家の家督を継ぐ。中津藩の儒学の大久庭家塾をへて、1872年(明治5年)より、3年間藩校の修徳館で、英語と数学を学んだ。続いて、1875年(明治8年)秋にヘンリー・スタウトの塾に入り英語を学ぶ。スタウトの家庭礼拝に出て、スタウトから聖書を学ぶ。1876年(明治9年)頃スタウトの影響でキリスト教に入信し、1876年12月25日に長崎一致教会(現・日本基督教団長崎教会)でスタウトから洗礼を受ける。