大谷 真惟(おおたに まさただ、1999年12月25日 - … 大谷 真惟(おおたに まさただ、1999年12月25日 - )は、沖縄県沖縄市出身で、宮城野部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。身長184.0cm、体重185.9kg。最高位は東幕下27枚目(2023年9月場所)。部屋公式ホームページによると、好物は春巻、趣味はアニメ鑑賞。 祖父はアメリカ人。沖縄県立中部農林高等学校1年の時に相撲を始める。日本大学では副主将を務め、卒業後に13代宮城野(元横綱・白鵬)の誘いで大相撲の宮城野部屋に入門。当初は大学で相撲を辞めるつもりでいたが、大学4年の全日本相撲選手権大会で1回戦敗退し悔いが残ったため、既に決まっていた地元・沖縄での就職を断って角界入りした。
木﨑海 伸之助(きざきうみ しんのすけ、1995年5月5日 … 木﨑海 伸之助(きざきうみ しんのすけ、1995年5月5日 - )は、沖縄県うるま市出身で木瀬部屋に所属した元大相撲力士。本名は木﨑 伸之助(きざき しんのすけ)。身長174cm、体重152kg、血液型はB型。最高位は西十両3枚目(2020年1月場所)。締め込みの色は薄緑。兄は同じ木瀬部屋に所属する美ノ海。 1995年、沖縄県に5人姉弟の四男として誕生。長兄の大輔は鳥取城北高校、日本大学で活躍し、現在は九州電力相撲部副主将。1987年生まれの次兄は6歳で病死している。沖縄市立美里小学校1年次に地元の道場(智心館)で相撲を始めて、5年時にはわんぱく相撲全国大会に出場している。小学校卒業後は鳥取市立西中学校に進学し、3年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会ベスト32などの実績を残した。
美ノ海 義久(ちゅらのうみ よしひさ、1993年5月6日 -… 美ノ海 義久(ちゅらのうみ よしひさ、1993年5月6日 - )は、沖縄県うるま市出身で、木瀬部屋所属の現役大相撲力士。本名は木﨑 信志(きざき しんじ)。身長は178cm、体重は152kg、血液型はB型。最高位は西前頭2枚目(2026年3月場所・7月場所)。弟は同じ木瀬部屋に所属していた元十両・木﨑海。 1993年、沖縄県に、5人姉弟の三男として生まれる。長兄・大輔は鳥取城北高校、日本大学で活躍し、現在は九州電力相撲部監督。次兄は6歳で病死している。母方のおじの1人が日本大学相撲部の監督で、もう1人のおじは沖縄県立中部農林高等学校の元監督(2024年7月場所中時点)。沖縄市立美里小学校1年次から相撲を始め、叔父が監督を務めていた中部農林高校に通って高校生と稽古をしていた。
若ノ城 宗彦(わかのじょう むねひこ、1973年4月13日 … 若ノ城 宗彦(わかのじょう むねひこ、1973年4月13日 - )は、沖縄県那覇市出身で間垣部屋に所属した元大相撲力士。本名は阿嘉 宗彦(あか むねひこ)。身長191cm、体重157kg。得意技は右四つ、上手投げ。最高位は西前頭6枚目(1998年3月場所)。 沖縄尚学高校時代は柔道部に所属しており、1年次からレギュラーとして活躍。2年次に全国高校選手権の団体戦でエースの真喜志慶治とともに活躍して、沖縄県勢初の優勝を成し遂げて、オリンピックの柔道代表候補と言われた。だが実は元々は角界入りの予定ではなかった。高校の寮の食堂では米は食べ放題であったが、部活が引退間近になって実家に戻ってから運動を以前のようにしなくなり、やたらとのどが渇き夜中に何度もトイレに起きるようになったため異常に気づいた母に促され、病院で検査を受けると血糖値が450mg/dlもあり即入院となった。
琴椿 克之(ことつばき かつゆき、1960年12月6日 - … 琴椿 克之(ことつばき かつゆき、1960年12月6日 - )は、沖縄県那覇市出身、佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。本名は渡嘉敷 克之(とかしき かつゆき)。最高位は西前頭3枚目(1992年7月場所)。趣味は音楽鑑賞。現役時代は稽古熱心で有名であった。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。現在は年寄・白玉。 沖縄が日本に返還されて日の浅い当時、「沖縄を大相撲畑にしたい。」と佐渡ヶ嶽(元横綱・琴櫻)に口説かれた渡嘉敷少年は1976年3月場所に初土俵を踏む運びとなった。1972年5月の沖縄返還以前に大相撲へ入門した力士は過去に4人しかおらず、関取に昇進したのは琉王優貴(元前頭筆頭)ただ1人であり、これは前例の少ない試みであった。
友鵬 勝尊(ゆうほう まさたか、1956年12月5日 - 2… 友鵬 勝尊(ゆうほう まさたか、1956年12月5日 - 2017年9月8日)は、沖縄県宮古島市(旧・平良市)出身で大鵬部屋に所属した大相撲力士。引退後は大鵬部屋を経て大嶽部屋に所属し、日本相撲協会の世話人を務めていた。本名は長崎 勝。最高位は西幕下筆頭(1987年1月場所)。得意技は押し。 沖縄県立宮古高等学校で柔道を始め、沖縄県の新人戦で3位に入った。準決勝で対戦した相手の父親が大鵬部屋大阪後援会と知り合いだった縁で、1975年2月に大鵬が自ら宮古島までスカウトに来た。上京して一旗揚げたい気持ちが強まり、大鵬部屋に入門、高校は中退した。 1975年5月場所に「宮古島」の四股名で初土俵を踏む。
琉王 優貴(りゅうおう ゆうき、1945年2月25日 - 2… 琉王 優貴(りゅうおう ゆうき、1945年2月25日 - 2015年6月28日)は、沖縄県那覇市出身(出生地は大分県中津市)で、朝日山部屋に所属した元大相撲力士。 本名は島 武光(しま たけみつ)→神田 武光(かんだ - )。現役時代の体格は176cm、130kg。得意手は突き、押し。最高位は西前頭筆頭(1973年9月場所)。沖縄県出身者初の関取として記録に残っている。 疎開先の大分県中津市で生まれ、アメリカ占領下の那覇市で少年時代を過ごした。中学卒業後に奄美群島奄美大島に渡り、奄美高校では柔道部で活躍する。高校2年の夏休みに上京した時、同じ奄美群島徳之島出身の横綱・朝潮のいる高砂部屋に出かけたが、巡業中で誰もおらず失望して帰る途中で道に迷ったところを朝日山親方(元関脇・高津山)夫人に声を掛けられた。