キャン ヒロユキ(本名:喜屋武 浩行、1974年1月9日 -… キャン ヒロユキ(本名:喜屋武 浩行、1974年1月9日 - )は、日本の放送作家・脚本家・パーソナリティ・タレントである。 かつてはお笑いタレントとしても活動していた。 沖縄県沖縄市出身。昭和薬科大学附属中学校・高等学校、琉球大学理学部数学科卒業。大学在学中の1996年、演芸集団FECに入団。放送作家としてテレビ・ラジオ構成に携わり、琉球新報のコラム執筆。 1998年、RBCラジオ主催「第1回ラジオCMグランプリ」大賞。 1999年4月(株)吉本興業養成所東京NSCに5期生として入学。コンビ「水色桔梗」を組み、人力舎とのお笑い対抗戦「Σ…シグマ」に、在学200組を勝ち抜いて出演。7組のトリをつとめた。
腕トラ(うでとら、1972年3月16日 - )は、日本のシン… 腕トラ(うでとら、1972年3月16日 - )は、日本のシンガーソングライター、歌手、作詞家、作曲家、ラジオパーソナリティ、脚本家、演出家である。 大和で777 腕トラの「今夜は体温のように」(2014年4月08日、FMやまと) ラジオ 「FMやまと」大和で777 「腕トラ」の「今夜は体温のように」では、リスナーのリクエストに応える形で、昭和歌謡曲のカバー楽曲を披露している。
金城 哲夫(きんじょう てつお、1938年〈昭和13年〉7月… 金城 哲夫(きんじょう てつお、1938年〈昭和13年〉7月5日 - 1976年〈昭和51年〉2月26日)は、日本の脚本家。沖縄県島尻郡南風原町出身。第一期ウルトラシリーズを企画し、文芸部長としてシリーズの基礎を作り上げた一人である。 1938年に東京で生まれたが、中学までを沖縄で過ごした。中学卒業後の1955年、小原国芳の玉川学園の教育方針を信頼した母親の勧めで上京して玉川学園高等部へ入学、玉川大学文学部教育学科へ進学し卒業。高校時代は金星の研究をするSFクラブ「日金友好協会」を結成したり、友人たちと結成した「沖縄慰問隊」当時の玉川学園の高等部に於ける修学旅行として、パスポートが必要なアメリカ統治時代の沖縄を訪問するなど、リーダーシップを少年時代から発揮していた。
上原 正三(うえはら しょうぞう、1937年2月6日 - 2… 上原 正三(うえはら しょうぞう、1937年2月6日 - 2020年1月2日)は、日本の脚本家。沖縄県那覇市出身。 警察官である父を持つ5人兄弟の第3子。太平洋戦争の激化により、1944年9月に一時台湾へ避難する。1か月後に那覇へ戻る予定だったが、那覇が空襲(十・十空襲)で壊滅したうえ、乗っていた那覇行きの船は約2週間の漂流を経て鹿児島へたどり着き、そこから熊本県に移って疎開生活を送る。終戦後の1946年に沖縄へ帰郷し、小学生時代は石川市(現・うるま市)、玉城村(現・南城市)で過ごす。 琉球政府立那覇高等学校での高校生時代は映画に夢中で、『シェーン』などの作品に感動し、これが本格的な映画との出会いになった。
大宜見 小太郎(おおぎみ こたろう、1919年1月2日 - … 大宜見 小太郎(おおぎみ こたろう、1919年1月2日 - 1994年7月26日)は、沖縄県那覇市出身の俳優、脚本家、演出家、舞踊家。沖縄芝居の大御所として知られ、沖縄俳優協会会長もつとめた。なお、「大宣見小太郎」「大宜味小太郎」等と誤記されることも多い。 生誕時の本名は、當間朝義(幼名太郎)。やがて、沖縄芝居の役者の、大宜見朝良の養子に入り、本名「大宜見朝義」となった。さらに、当時の役者には、「太郎」と名乗る者が多かったことから、「大宜見小太郎」を芸名にした。また、南一郎のペンネームで200本以上の脚本を書いている。 妻は沖縄芝居女優の大宜見静子。 1926年(大正15年)7才の時に、石垣にて「瓦屋節由来記」で初舞台を踏み、その後も子役として活躍する。