君島 興一(きみじま こういち、1898年10月10日 - … 君島 興一(きみじま こういち、1898年10月10日 - 1971年1月3日)は、日本の経営者。茨城県出身。 1922年に小樽高等商業学校を卒業し、同年に川崎汽船に入社。1946年11月に取締役に就任し、専務を経て、同年12月に社長に就任。1950年8月に川崎重工業専務に就任し、1963年6月から1965年2月まで副社長を務めた。 1964年11月に藍綬褒章を受章し、1967年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1971年1月3日心筋梗塞のために死去。72歳没。
栗林 徳一(くりばやし とくいち、1896年(明治29年)3… 栗林 徳一(くりばやし とくいち、1896年(明治29年)3月9日 - 1981年(昭和56年)12月27日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、室蘭市名誉市民。 北海道室蘭で、栗林五朔、カス夫妻の長男として生まれる。1918年(大正7年)小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を卒業し、父の事業を継いで海運業を営む。栗林 (名) 社員、栗林商会社長、栗林商船社長、室蘭船渠取締役、南洋興発取締役、室蘭商工会議所会頭、胆振縦貫鉄道会長、北海道地方電力調整委員などを務めた。1932年(昭和7年)2月、欧米の温泉場、港湾の視察で外遊し、同年11月に帰国した。 1939年(昭和14年)9月29日、貴族院多額納税者議員に就任。
浅野 義夫(あさの よしお、1895年(明治28年)10月 … 浅野 義夫(あさの よしお、1895年(明治28年)10月 - 1976年(昭和51年)5月15日)は、日本の実業家で、浅野総一郎の四男、浅野財閥の各社の重役を歴任した。 浅野義夫は明治28年 (1895年) 10月に浅野総一郎の四男として生まれた。最初は龍蔵という名前だったが、義夫に改名した。大正8年 (1919年) に小樽高商を卒業すると、すぐに渡米し、ニューヨークのグレース商会 (W. R. Grace Co., New York) に三年間勤務した。大正10年に帰国してからは、浅野財閥の多数の会社の重役を同時に務めた。昭和12年頃は、小倉製鋼の東京出張所に毎日出勤して社務を統べた。戦後の財閥解体後は、東都製鋼相談役やトピー工業最高顧問を務め、尼崎築港の大株主でもあった。
佐々木 周一(ささき しゅういち、1893年 - 1982年… 佐々木 周一(ささき しゅういち、1893年 - 1982年)は、日本の実業家。三井船舶代表取締役社長や、日本船主協会会長、日本海難防止協会会長等を歴任した。 1893年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業、三井物産入社。イギリス駐在等を経て、1942年三井船舶専務取締役。1944年三井本社代表取締役常務理事。日本の降伏後1945年三井船舶代表取締役社長に就任。1946年には日本船主協会会長も兼務したが、同年公職追放となり退任。1962年三井ライン興業取締役。1968年から日本原子力船開発事業団理事長を務め、むつの開発などを進めた。日本海難防止協会会長、海上安全審議会会長なども歴任した。
堀越 哲二 は、日本の元・学校経営者。群馬県に本部を持つ学校… 堀越 哲二 は、日本の元・学校経営者。群馬県に本部を持つ学校法人堀越学園の元理事長、創造学園大学の元学長。高崎保育専門学校元学校長、高崎医療技術福祉専門学校元学校長、元堀越幼稚園長、創造学園大学附属高等学校元校長。なお、小池哲二 、小池大哲 、堀越大哲とも名乗っていた。
柴垣 譲(しばがき ゆずる)は、日本の実業家。三菱地所リアル… 柴垣 譲(しばがき ゆずる)は、日本の実業家。三菱地所リアルエステートサービス代表取締役社長や、不動産流通経営協会副理事長を務めた。 1972年小樽商科大学商学部卒業、三菱地所入社。住宅開発事業本部住宅事業部長を経て、2003年執行役員住宅開発事業本部住宅事業部長に昇格。2008年には常務執行役員として、三菱地所が良品計画との間で、分譲マンション事業で共同企画を展開することを発表した。2009年から三菱地所リアルエステートサービス代表取締役社長を務め、2010年には住宅分譲事業の三菱地所レジデンスへの統合にあたった。不動産流通経営協会副理事長も務めた。