堀裕嗣(ほり ひろつぐ、1966年 - )は、日本の文学教育… 堀裕嗣(ほり ひろつぐ、1966年 - )は、日本の文学教育者、札幌市立中学校教諭。 北海道湧別町生まれ。北海道教育大学卒、同大学院札幌・岩見沢校修士課程・国語教育専修修了。「研究集団ことのは」代表・「教師力BRUSH-UPセミナー」代表。 学生時代、森田茂之に師事し文学教育に傾倒。1992年、森寛・對馬義幸らとともに「研究集団ことのは」を設立。文学教育と言語技術教育との融合を旗印に長く国語科授業の研究を続けている。
石塚 耕一(いしづか こういち、1955年 - )は日本の教… 石塚 耕一(いしづか こういち、1955年 - )は日本の教育者、ホイスコーレ札幌代表(2019〜)、東海大学教授(2013〜2022)。北海道公立高等学校校長(2006〜2012)、2010年に著書「奇跡の学校 おといねっぷの森から」にて、北海道おといねっぷ美術工芸高等学校の生徒たちが、友達や教師、音威子府村の人々との交流を通して、個々の才能を開花させていくエピソードを描いた。2012年には韓国でも出版された。2016年に著書「ビートルズのデザイン地図」にて、ビートルズのアルバムジャケットの研究を発表した。アートや写真などの表現活動も行っている。
今泉 博(いまいずみ ひろし、1949年 - )は、日本の教… 今泉 博(いまいずみ ひろし、1949年 - )は、日本の教育者、教育学者、松本大学教授。 北海道函館市生まれ。1971年北海道教育大学卒、東京都公立小学校教員として勤務。2004年北海道教育大学釧路校助教授、教授となり、2015年定年退任、松本大学教育学部教授となる。間違い・失敗を活かし、子どもたちが生き生き学ぶ授業を創造。現場の経験をもとに「教師教育論」「授業論」「学力論」などの研究を進めている。2002年「学びをつくる会」(東京)、2004年「釧路学びをつくる会」の設立に尽力。全国進路指導研究会常任委員。
小林 和男(こばやし かずお、1935年〈昭和10年〉10月… 小林 和男(こばやし かずお、1935年〈昭和10年〉10月30日 - 2018年〈平成30年〉1月26日)は、日本の政治家、地方公務員、教育者。北海道乙部町出身。北海道学芸大学旭川分校卒業。北海道三笠市市長(3期)。 8人兄弟の5番目として生まれる。大学卒業後、小中学校教諭、三笠市立博物館副館長を経て、1987年三笠市議会議員に当選。その後の市議選で落選し、1999年7月三笠市教育長に就任。市教育長を辞職して、2003年三笠市長選に立候補し初当選。2011年3期目当選。市長在職中は全国市長会理事も務めていた。2015年任期満了で市長を退任。 退任後は、後任の西城賢策市長の発案により、三笠市の特産品などをPRする目的で新設した特命大使第1号に任命された。
川辺 為三(かわべ ためぞう、1928年11月29日 - 1… 川辺 為三(かわべ ためぞう、1928年11月29日 - 1999年4月16日)は、日本の教育者・小説家。樺太生まれ。作品集『岬から翔べ』で第18回北海道新聞文学賞受賞。 北海道学芸大学(現在の北海道教育大学)卒。札幌市とその周辺で高校教員(国語科)として勤務、のちには國學院女子短期大学(國學院短期大学)助教授[要出典]、北海道立文学館を運営する財団法人北海道文学館の評議員も務めた。教職のかたわら、渡辺淳一や高橋揆一郎、寺久保友哉らを輩出する文芸同人誌『くりま』創刊の中心となって小説作品を発表し、後年は札幌の月刊同人誌『北方文芸』の編集者として、またカルチャーセンター講座「創作教室」の講師として多くの作家を育てた。
入江 好之(いりえ よしゆき、本名:入江 好行、1907年(… 入江 好之(いりえ よしゆき、本名:入江 好行、1907年(明治40年) - 1989年(平成元年))は、日本の詩人・児童文学作家・教育者・経営者。 北海道小樽市生まれ。1928年(昭和3年)旭川師範学校(現・北海道教育大学旭川校)卒業。 在学中に詩誌「北斗星」を創刊。旧制中学校教諭]しながら、作詩活動を続け、詩誌「青光」を創刊。1936年(昭和11年)に第一詩集「あしかび」を刊行。その後官憲の弾圧を受け、教職を辞職し、1943年(昭和18年)に満州国に渡る。満州国日本人中学校の教員をしていたが、終戦。シベリア抑留を経て、1949年(昭和24年)に帰国。 1956年(昭和31年)北海道詩人協会の設立に参画し、同協会事務局長に就任( - 1976年(昭和51年))。
中島 国男 (なかじま くにお、1905年(明治38年)6月… 中島 国男 (なかじま くにお、1905年(明治38年)6月13日 - 1985年(昭和60年)9月24日)は、日本の教育者、地方政治家。幕別町名誉町民。栄典は正六位・勲五等双光旭日章。北海道中川郡幕別町町長を7期28年間歴任した。 1905年(明治38年)6月13日に、北海道上川郡当麻村字宇園別一、父:中島岩蔵(岐阜県本巣郡土貴野村出身)、母:中島かん(岐阜県本巣郡土貴野村出身)の長男として生まれた。 父:岩蔵は農業を経営しながら当麻村議会議員、当麻村消防団長を務め、さらに中央乗合自動車株式会社取締役を兼ね、昭和2年には、十勝止若支社(道東バスの前身)を設立(帯広-止若-池田間運行)、また1930年(昭和5年)に名寄支社を設立した。
田中 正太郎(たなか しょうたろう、1885年(明治18年)… 田中 正太郎(たなか しょうたろう、1885年(明治18年)11月23日 - 1965年(昭和40年)1月17日)は、大正から昭和時代の政治家、教育者、実業家。北海道勇払郡苫小牧町長、初代苫小牧市長。 札幌県新冠郡(現・北海道新冠郡新冠町)にて生まれ、1893年(明治26年)苫小牧へ移り住む。苫小牧尋常高等小学校(現・苫小牧市立西小学校)を経て、1908年(明治41年)北海道師範学校第1部(現・北海道教育大学札幌校)卒業。卒業後、直ちに母校の苫小牧尋常高等小学校の訓導となり、その後、1918年(大正7年)苫小牧東尋常小学校(現・苫小牧市立東小学校)訓導兼校長を経て、1921年(大正10年)苫小牧東尋常高等小学校の校長に就任する。
牧ロ 常三郎(まきぐち つねさぶろう、1871年7月23日(… 牧ロ 常三郎(まきぐち つねさぶろう、1871年7月23日(明治4年6月6日)- 1944年(昭和19年)11月18日)は、日本の教育者、宗教家。 1871年7月23日(明治4年6月6日)、柏崎県刈羽郡荒浜村(現:新潟県柏崎市)で渡辺長松・イネの長男として誕生。出生名は渡辺 長七(わたなべ ちょうしち)。1877年、親戚である牧口善太夫の養子となる。 1885年に尋常小学校を卒業後、単身、北海道へ職を求めて渡る。小樽警察署の給仕をしながら苦学の末に、1891年、札幌の北海道尋常師範学校(現:北海道教育大学)第一学部3学年に編入。 1893年、常三郎(つねさぶろう)と改名。同年3月に卒業し、母校の付属小学校の教師となる。