橋本 星哉(はしもと せいや、2000年9月18日 - )は… 橋本 星哉(はしもと せいや、2000年9月18日 - )は、兵庫県加古川市出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 7人兄弟の長男として生まれる。加古川市立野口小学校1年生の時に軟式野球を始め、加古川市立中部中学校時代はリトルシニアの兵庫播磨リトルシニアでプレーした。 高校は興國高等学校に進学し、2年生の時に「8番・捕手」で夏の府大会デビューを果たした。打率.375、0本塁打、4打点の活躍で勝ち進んだが、準々決勝で根尾昂、藤原恭大を擁する大阪桐蔭に敗れベスト8に終わった。 進学した中央学院大学では、通算23試合に出場し、打率.278、22安打、4本塁打、18打点の成績を残した。
大坂谷 啓生(おおさかや ひろき、1992年11月9日 - … 大坂谷 啓生(おおさかや ひろき、1992年11月9日 - )は、青森県つがる市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。
秋吉 亮(あきよし りょう、1989年3月21日 - )は、… 秋吉 亮(あきよし りょう、1989年3月21日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学1年生の時に足立ジュニアヤンガースに入団。6年生の時に関東大会優勝を果たしている。足立区立江北中学校へ進学後は、同校の軟式野球部と軟式クラブ足立ヤンガースに所属。内野手、外野手をこなしつつ、2年生の時には捕手に指名されたという。 中学卒業後は「試合に出ることを考えて選んだ」という理由として東京都立足立新田高等学校へ進学。1年時の頃から一塁手としてスタメンへ定着、後に投手へ転向しエースとして活躍。2年生の秋の大会では早稲田実業高校と対戦し1対3で敗れはしたが、中盤まで早実打線をノーヒットに抑える好投。
池永 大輔(いけなが だいすけ、1980年7月17日 - )… 池永 大輔(いけなが だいすけ、1980年7月17日 - )は、東京都台東区浅草出身の元プロ野球選手(内野手)。
鈴木 章太(すずき しょうた、1980年6月20日 - )は… 鈴木 章太(すずき しょうた、1980年6月20日 - )は、元プロ野球審判員。 安田学園高校→中央学院大学を経て、2004年にパリーグ審判部に入局。同期は山路哲生。 2009年終了時点での試合出場数は68試合。2009年度は塁審として後述のミスがあるまで順調に一軍出場を伸ばしていた。 2010年9月27日に、翌2011年シーズンの契約を結ばないことを通告され退職。 その後、一般企業を経て、整骨院などの事業を経営。 2009年6月16日の巨人対西武3回戦(宇都宮清原球場)で三塁塁審を務めた鈴木は、1回表2死1塁2塁の場面で、西武G.G.佐藤が放った3塁線のライナーを、ファウルボールと判定した。しかしこの打球は、巨人の三塁手古城茂幸がフェアゾーン(と思われる地点)でグラブに当てて弾いてファウルゾーンに落ちたものであり、即座に西武側からフェアではないかと抗議があったものの、判定は覆らなかった。
度会 博文(わたらい ひろぶみ、1972年1月26日 - )… 度会 博文(わたらい ひろぶみ、1972年1月26日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 登録ポジションは内野手だが、投手と捕手以外の全てのポジションを守れるユーティリティープレイヤーとして活躍した。息子が2人おり、そのうち次男は横浜DeNAベイスターズ所属の度会隆輝。 八千代松陰高等学校では2年秋の関東大会に出場して初戦は井出竜也が先発の吉田高に勝利したが、準々決勝で5回コールド負け。中央学院大学に進学。大学2年時に頭角を現し始め、首位打者3回、ベストナイン4回、4年秋はMVP、大学通算で打率.475、9本塁打。 1993年、ドラフト3位でヤクルトに入団。明治神宮外苑で草野球をしていたところ、片岡宏雄スカウトの目に留まり入団に至った。
川口 亘太(かわぐち こうた、1971年5月28日 - )は… 川口 亘太(かわぐち こうた、1971年5月28日 - )は、プロ野球審判員。審判員袖番号は39。 我孫子高等学校、中央学院大学を経て1994年にパシフィック・リーグ審判部に入局。審判員袖番号は39。 2008年5月24日北海道日本ハムファイターズ対中日ドラゴンズ第2回戦(札幌ドーム)にて二塁塁審を務め、通算1000試合出場を達成した。 2025年終了時点での試合出場数は2734試合。オールスターゲーム出場4回(2001年、2004年、2011年、2019年。内2001年の第2戦と2011年の第2戦で球審)、日本シリーズ出場8回(2006年、2010年、2011年、2014年、2016年、2018年、2022年、2023年。
福浦 健次(ふくうら けんじ、1942年9月13日 - )は… 福浦 健次(ふくうら けんじ、1942年9月13日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。 中央商業高等学校(現:中央学院大学中央高等学校)では大型左腕投手として知られ、1961年に阪神タイガースに入団。1年目から一軍に上がり、中継ぎとして5試合に登板する。1963年10月13日に国鉄スワローズを相手に初先発。金田正一と投げ合い、5回を2安打3失点に抑えるが敗戦投手となった。その後は出場機会に恵まれず、1965年に自由契約になり西鉄ライオンズに移籍。ここでも中継ぎとして起用され、1967年と1968年にそれぞれ12試合に登板した。1970年限りで引退した。