冬廣 應尚(ふゆひろ まさなお、1974年(昭和49年)4月… 冬廣 應尚(ふゆひろ まさなお、1974年(昭和49年)4月20日 - )は、日本の実業家。イフイング株式会社代表取締役社長。 美容商社・株式会社インテンスおよびIT企業・インベード株式会社の代表取締役も務める。 京都府京都市出身。1997年に京都工芸繊維大学卒業後、大手システムインテグレーター企業に入社。 1999年、父親である冬廣憲二が代表を務める、株式会社フユヒロ・トレーディングカンパニーに入社。 同年4月、大阪営業所を大阪市西区新町に開設。 2002年、取締役営業本部長に就任。 2003年、ヘア化粧品メーカーの株式会社イフイングを設立。 2007年4月、株式会社フユヒロ・トレーディングカンパニーの社名を「株式会社インテンス」に変更。
澤邊 芳明(さわべ よしあき、1973年10月1日 - )は… 澤邊 芳明(さわべ よしあき、1973年10月1日 - )は、日本の実業家。株式会社ワントゥーテン代表取締役社長。一般社団法人日本ボッチャ協会代表理事。 東京都生まれ、奈良県育ち。京都工芸繊維大学在学中にワントゥーテンの前身となる個人事業を創業し、のちに法人化した。XR、AI、プロジェクションマッピング、空間演出などを用いた体験設計の分野で活動している。また、パラスポーツとテクノロジーを組み合わせた取り組みや、東京2020オリンピック・パラリンピック関連事業にも関わった。 姓の「澤」は「沢」の旧字体かつ「邊」は「辺」の旧字体であるため、「沢辺 芳明」と表記するケースもある。 1973年、東京都生まれ、奈良市育ち。
川合 尊(かわい たけし、1962年〈昭和37年〉10月13… 川合 尊(かわい たけし、1962年〈昭和37年〉10月13日 - )は日本の技術者、実業家。日本特殊陶業株式会社代表取締役社長。 大阪府泉佐野市出身。1987年京都工芸繊維大学大学院工芸学研究科修了、日本特殊陶業入社。社内ベンチャーとされたセンサ事業部の技術に長年携わり、センサ事業を点火プラグ事業に次ぐ規模に成長させた。2011年自動車関連事業本部センサ事業部第2技術部長。2012年執行役員。2015年取締役常務執行役員に昇格。2016年取締役専務執行役員。2019年から代表取締役社長を務め、新規事業の展開を進めた。2026年4月1日代表取締役取締役会長。
喜多 伸夫(きた のぶお、1959年8月3日 - )は、サイ… 喜多 伸夫(きた のぶお、1959年8月3日 - )は、サイオス株式会社代表取締役社長、一般社団法人 WebDINO Japan(旧Mozilla Japan)理事。大阪府立鳳高等学校、京都工芸繊維大学卒業。 1993年から1999年までの米国生活中、Linuxと出会い、シリコンバレーのLinuxベンチャー企業の立ち上げを支援。 また、米国のオープンソースソフトウェア開発者たちとも積極的に交流。1999年に帰国後、Linuxシステムメーカーのナンバーワンを目指してノーザンライツコンピュータ株式会社の社長に就任。2002年1月、株式会社テンアートニと同社の合併に伴い、株式会社テンアートニ(現サイオス株式会社)の社長に就任。
義元 孝司(よしもと たかし、1951年5月14日 - )は… 義元 孝司(よしもと たかし、1951年5月14日 - )は、日本の実業家・篤農家・農業コンサルタント。福井六次産業農業協同組合代表理事組合長。日本初の6次産業農協の設立者。公益社団法人日本農業法人協会講師。第一次産業では、福井県でインディカ米・ベトナムでジャポニカ米を栽培し、第二次産業ではフォーを生産し、第三次産業では農家レストランで調理・提供した6次産業による中山間地域活性化に尽力している。 1951年5月14日 、福井県越前市〈旧武生市〉出身。福井県立武生高等学校を卒業。滋賀県立短期大学を卒業。京都工芸繊維大学を卒業。学生時代に印刷会社を起業。繊維会社等に勤務。福井県経済農業協同組合連合会に奉職。
橋本 達吉(はしもと たつきち、1911年〈大正元年〉10月… 橋本 達吉(はしもと たつきち、1911年〈大正元年〉10月4日 - 没年不明)は、日本の実業家。 大阪電気軌道入社後、近鉄百貨店(近畿日本鉄道百貨店部)勤務を経て、京都近鉄百貨店(旧・丸物、現在の近鉄百貨店)で社長を務めた。 広島県尾道市出身。日本画家の橋本関雪と姻戚関係にあり、子供時代は画家になりたいと思っていた。しかし、関雪の一門であった叔父から「画家で飯は食えない」と言われたことから、グラフィックデザイナーに志望変更し、京都工業専門学校(現在の京都工芸繊維大学)図案課へ進学した。 尾道へ帰省の時は丸物本店で土産を買って帰っており、創業時の建物の北側に鉄筋コンクリート造の新館ができているのを目にしていた。
高木 吉之助(本姓:髙木、たかぎ きちのすけ、1897年(明… 高木 吉之助(本姓:髙木、たかぎ きちのすけ、1897年(明治30年)3月24日 - 1984年(昭和59年)11月21日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 京都府京都市出身。1918年(大正7年)京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)を卒業した。 織物業を経営。近畿中小企業連絡協議会参与委員、西陣織物統制組合理事長、京都物産協会長、京都府商工会議所理事、西陣織物協同組合理事長、西陣織物同業会長、日本絹人絹織物同業会理事などを務めた。 また、京都市会議員に選出され、商工省物価局価格査定事務嘱託、京都府西陣地区物価監視委員長、生糸問屋審査専門委員なども務めた。1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で京都府地方区から民主党公認で出馬したが次点で落選。
衣笠 静夫(きぬがさ しずお、1895年(明治28年)12月… 衣笠 静夫(きぬがさ しずお、1895年(明治28年)12月2日 - 1962年(昭和37年)2月24日)は、日本の実業家である。ミツワ石鹸(旧:丸美屋商店、現在は廃業)の副社長を務めた。 兵庫県龍野市(現在のたつの市)に生まれ、京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)に入学する。1917年(大正6年)に卒業後は後のミツワ石鹸である丸美屋商店に入社し、宣伝部長や企画部長、営業部長を歴任した。勤務中は同社のユニークな広告制作に携わり、多くの新聞社に依頼しその広告を新聞広告として採用された事で名を馳せる。 その後は日本油脂工業会および日本化粧品工業会理事を務め、全日本広告連盟の理事長や日本広告主協会(現在の日本アドバイターズ協会)の理事や全日本広告協議会の幹事長等も歴任した。
河野 傳(河野 伝)(こうの つとう、1896年(明治29年… 河野 傳(河野 伝)(こうの つとう、1896年(明治29年) - 1963年(昭和38年)10月24日)は、日本の建築家、技術者、経営者。宮崎県出身。旧国立駅舎の設計者と考えられている。 1896年(明治29年)に、宮崎県児湯郡美々津村(現:宮崎県日向市)の廻船問屋・河内屋の河野勢蔵、リサの長男として出生。美々津村立美々津尋常小学校(現:日向市立美々津小学校)、宮崎県立宮崎中学校(現:宮崎県立宮崎大宮高等学校)を経て、京都高等工芸学校図案科(現:京都工芸繊維大学)にて本野精吾の下で建築を学ぶ。卒業後、建築家となり、フランク・ロイド・ライトに師事し、帝国ホテル新館(ライト館)の建設に携わる。1923年(大正12年)には上野陽一邸の設計を手掛けている。