冨士本 大生(ふじもと ひろき、1992年4月10日 - )… 冨士本 大生(ふじもと ひろき、1992年4月10日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 奈良県宇陀市出身。友人に誘われてバレーボールを始める。 大阪商業大学高等学校、大阪産業大学を経て、2014/15シーズン、V・プレミアリーグ(当時のVリーグ1部リーグ)に所属するパナソニックパンサーズの内定選手となった。 2015年、大学卒業後に、パナソニックパンサーズに入団した。入団1シーズン目となる2015/16シーズンにV・プレミアリーグの試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2017年、2016/17シーズン終了をもって現役を引退した。引退後は社業に専念。
横田 一義(よこた かずよし、1986年5月1日 - )は、… 横田 一義(よこた かずよし、1986年5月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 滋賀県大津市出身。洛陽工業高校から大阪商業大学へ進学し、大学在学中の2008年に堺ブレイザーズの内定選手になった。大学卒業後の2009年に入団した。 2010年に全日本代表登録メンバーに初選出された。 2017年に第66回黒鷲旗全日本男女選抜大会を最後に引退した。 引退後は福岡県内で働く。2021年夏、V.LEAGUE入りを目指す福岡ウイニングスピリッツの代表である上竹原聖子から入団を熱望され、現役復帰を果たした。同年、チームはS3ライセンスを取得し翌シーズンの2022-23シーズンV.LEAGUE入りが内定した。
國近 公太(くにちか こうた、1985年11月1日 - )は… 國近 公太(くにちか こうた、1985年11月1日 - )は、日本の男子バレーボール選手。 岡山県倉敷市出身。小学5年生の時、TVで見たバレーの試合に感動し、バレーを始める。 その後岡山県立岡山東商業高等学校へ入学。2002年2年時には同校を30数年ぶりに中国大会優勝に導いた。その活躍から、岡山県国体選抜、全日本ジュニア、全日本ユースに選ばれている。 高校を卒業後、2004年にスポーツ推薦で筑波大学へ入学するも、チームへの違和感から半年で中退した。数校からオファーが届き、その中から大阪商業大学を選び2005年に入学した。大商大の同級生に横田一義がいる。すぐにエースとして活躍、同年の関西大学バレーボールリーグ全勝優勝、同年度の黒鷲旗では東レアローズに勝利する快挙を揚げた。
井上 崇昭(いのうえ たかあき、1984年4月26日 - )… 井上 崇昭(いのうえ たかあき、1984年4月26日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。大阪府堺市出身。ポジションはアウトサイドヒッター。Vプレミアリーグの豊田合成トレフェルサに所属していた。 大阪商大高校、大阪商業大学卒業後、2007年に豊田合成トレフェルサへ入団。2009年から盛重龍に代わり出場機会が増えセミレギュラーで活躍した。 2010年、全日本代表登録メンバーに初選出された。 2016年に現役引退し、社業に専念。
山本 英之(やまもと ひでゆき、1982年6月5日 - )は… 山本 英之(やまもと ひでゆき、1982年6月5日 - )は、日本の男子バレーボール選手。和歌山県有田市出身。ポジションはミドルブロッカー。Vチャレンジリーグの近畿クラブスフィーダ所属。口癖は『ポッ』。最近の口癖は『バーベキューをしたい』。
岩田 正之(いわた まさゆき、1982年1月30日 - )は… 岩田 正之(いわた まさゆき、1982年1月30日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 奈良県桜井市出身。纏向小学3年(上牧ウイングス)よりバレーボールを始める。 全日本ユース代表やジュニア代表を経験、パナソニックパンサーズに入団。2008年、全日本に初選出された。 2010年1月に一身上の都合でパナソニックを退団した。
吉田 譲(よしだ じょう、1981年9月17日 - )は、日… 吉田 譲(よしだ じょう、1981年9月17日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 滋賀県近江八幡市出身。兄の影響で、武佐小学2年の時にバレーボールを始める。 1999年、アジアユース大会準優勝、2003年、ユニバーシアード大会準優勝などを経験し、2004年、Vプレミアリーグのサントリーサンバーズに入団。2011年退団するとともに、チームマネージャーに就任した。 2024年現在は地域連携/パートナー事業グループ担当の事務局スタッフを務める。
奥谷 信彦(おくたに のぶひこ、1979年5月21日 - )… 奥谷 信彦(おくたに のぶひこ、1979年5月21日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 奈良県大和郡山市出身。友人に誘われて、片桐小学6年(片桐VBC)よりバレーボールを始める。 郡山南中学校から大商大高校、大阪商業大学を経て、大学卒業後の2002年にNECブルーロケッツへ入団した。大学時代はミドルブロッカーだったが、NEC入団後にレフトにポジションを転向した。 2003年アジア太平洋カップにおいて、日本代表としてプレーした。 2009年5月、NECの無期限休部に伴い、現役引退した。 2024年現在はNECレッドロケッツアカデミーのスタッフとしてバレーボールの指導を行っている。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。
川村 慎二(かわむら しんじ、1978年5月2日 - )は、… 川村 慎二(かわむら しんじ、1978年5月2日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。 滋賀県近江八幡市出身。両親のすすめで武佐小学2年(武佐ガッツ)よりバレーボールを始める。 全日本ユース代表としてアジアユース準優勝などを経験、大阪商業大学を経て、2001年に松下電器・パナソニックパンサーズに入団した。 2007-2008年Vプレミアリーグ、2008年黒鷲旗大会の優勝に貢献し、最高殊勲選手賞(黒鷲賞)とベスト6に選出。2012年の同大会でも、黒鷲賞とベスト6に輝いた。 2014年5月の黒鷲旗大会まで13年間パナソニックでプレーし、直後に(2014/15シーズンより)南部正司監督を引き継ぐ形で同チームの新監督に就任した。
濱田 義弘(はまだ よしひろ、1972年4月22日 - )は… 濱田 義弘(はまだ よしひろ、1972年4月22日 - )は、日本のバレーボール指導者である。 崇徳高等学校、大阪商業大学を経て、1995年、ユニチカ・フェニックスのコーチに就任し、5シーズン在籍した。2001年からパイオニアレッドウィングスのコーチを4年間務め、2005年に久光製薬スプリングス(現・久光スプリングス)に移籍し眞鍋政義監督の下でコーチを務めた。コーチとして在籍した3チームでそれぞれリーグ優勝も経験する。2009年、眞鍋の日本女子代表監督就任に伴い久光製薬の監督に昇格する。 2009/10シーズン、久光製薬の監督として、2年ぶりの優勝を目標に掲げ、長所であるレシーブとつなぎの強化をそのまま続け、パワーとスピードの改革を行う方針を打ち出した。
南部 正司(なんぶ まさし、1967年8月6日 - )は、日… 南部 正司(なんぶ まさし、1967年8月6日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 大阪府大阪市出身。大阪商業大学附属高等学校、大阪商業大学を卒業し、1990年に日新製鋼入社。日新製鋼男子バレー部では高校の先輩でもある柳本晶一が監督を務めており、柳本の下で鍛え上げられた。 1986年の第3回アジアジュニアバレーボール選手権(タイ)、1987年の第4回バレーボール男子ジュニア世界選手権(バーレーン)、1991年の第16回ユニバーシアード大会(イギリス)にそれぞれ日本代表に選出されて出場している。また日本男子代表として1995年バレーボール・ワールドリーグに出場した。 1997年に日新製鋼ドルフィンズが解散したため、松下電器・パナソニックパンサーズへ移籍。
植田 辰哉(うえた たつや、1964年7月25日 - )は、… 植田 辰哉(うえた たつや、1964年7月25日 - )は、日本の元バレーボール選手(元全日本主将)、指導者(元バレーボール全日本男子代表監督)。 日本バレーボール協会男子強化委員会委員・発掘育成委員会副委員長(元・育成強化委員会ディレクター)。大阪商業大学特任教授。東かがわ市ふるさと大使。 香川県東かがわ市(旧大川郡白鳥町)出身。大阪商業大学附属高等学校(現・大阪商業大学高等学校)を経て大阪商業大学を卒業後の1987年、新日鐵(現・堺ブレイザーズ)に入る。センタープレイヤーとして日本バレーボールリーグ・ベスト6賞に5年連続選出された。全日本男子では、1992年バルセロナオリンピックにキャプテンとして出場するなど活躍した。
水田 和幸(みずた かずゆき、1955年11月29日- )は… 水田 和幸(みずた かずゆき、1955年11月29日- )は、日本の元男子バレーボール選手。 大阪商業大学附属高校バレー部のレギュラーとして活躍。高校3年の1973年のシーズンには、第1エースとして春高バレー(全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)、高校総体、国体の3冠を達成している。 高校卒業後、大阪商業大学に進学し、バレーボール部のレギュラーとして活躍。1975年には、全日本男女学生代表として、中国への遠征試合に派遣され、北京・南京・天津を転戦した。同年、東ドイツ、ブルガリアを招いての三国バレーボール試合に学生ながら日本代表に選ばれた。このほか、日本選抜メンバーも選ばれ試合をしており、日本選抜には大阪商業大学附属高校時代の同期である西岡秀人などが選ばれていた。
桑田 美仁(くわた はるひと、1955年9月2日 - )は、… 桑田 美仁(くわた はるひと、1955年9月2日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。元サントリーサンバーズ監督。 広島県府中市出身。中学2年までは陸上の走高跳の選手だったが、校内のクラス対抗戦で初めてバレーボールに触れ転向。それ以降セッター一筋。 1978年、大阪商業大学卒業後、実業団リーグに降格していたサントリー男子バレーボール部(現・サントリーサンバーズ)入団。セッターとして翌年1979年、日本リーグ復帰と同年都市対抗でのチーム結成以来初の全国優勝に貢献した。サーブレシーブに優れ、1981年のワールドカップで全日本に選出され、ピンチレシーバーなどで活躍した。 サントリーでは1984年からコーチ専任となり、1997年まで長きに渡り強力チーム作りへ尽力、1998年監督に就任するとジルソン・ベルナルド、佐々木太一、清水雅之、荻野正二、朝日健太郎らを擁して2000年第6回Vリーグ制覇と全日本選手権、第1回Vカップ初代王者とタイトルを独占、翌年2001年Vリーグ二連覇を達成し黄金時代の礎を築いて勇退した。
達川 実(たつかわ みのる、1952年8月16日 - )は、… 達川 実(たつかわ みのる、1952年8月16日 - )は、日本のバレーボール指導者。 大阪府大阪市出身。大阪商業大学付属高等学校時代には第1回全国高等学校バレーボール選抜優勝大会(春高バレー)に出場。 大阪商業大学を経て1975年にユニチカに入社。同社女子バレーボール部(1991年よりユニチカ・フェニックス)コーチに就任した。 1992年、バルセロナオリンピックで全日本女子代表のコーチを務めた。 1995年、吉田国昭の後任としてユニチカ・フェニックス監督に就任。就任1年目にして第2回Vリーグ優勝に導く。 2000年、ユニチカ・フェニックス廃部に伴い、東レアローズに全体移籍。引き続き監督を務める。
柳本 晶一(やなぎもと しょういち、1951年6月5日 - … 柳本 晶一(やなぎもと しょういち、1951年6月5日 - )は、日本のバレーボール元選手(元全日本代表)・指導者。元バレーボール全日本女子チーム監督。 大阪府大阪市出身。大阪商業大学付属高校卒業後、1970年帝人三原に入団。翌1971年新日本製鐵(現・堺ブレイザーズ)に移籍。以降、主力セッターとして活躍。1973年、全日本代表に初招集されるが、猫田勝敏の控えに甘んじることとなる。1974年アジア大会で優勝、同年世界選手権で銅メダル獲得、1976年モントリオールオリンピックに出場し、4位入賞するなど活躍を見せた。 1980年から監督兼任となり、1982年日本リーグ(現Vリーグ)優勝。1985年からタイ男子代表監督を1年間務める。
眞鍋 政義 は、日本の元男子バレーボール選手(元全日本代表選… 眞鍋 政義 は、日本の元男子バレーボール選手(元全日本代表選手)、元日本女子代表監督。NPO法人日本バレーボール・オリンピアンの会理事。