藤澤 真凛(ふじさわ まりん、1991年8月14日 - )は… 藤澤 真凛(ふじさわ まりん、1991年8月14日 - )は、東京都青梅市出身のビーチサッカー選手。元女子サッカー選手(DF、MF)。 東京都青梅市の地元クラブ「青梅新町FC」でサッカーを始めた。日テレ・メニーナを経て十文字高校のチームに入団。全日本高等学校女子サッカー選手権大会では2年連続で3位の結果を残し、高校3年の時にはチームの主将を務めた。 2010年に日本体育大学女子サッカー部に入団。2011年、2012年には全日本大学女子サッカー選手権大会で2連覇を果たし、当時2部に相当したチャレンジリーグでは46試合に出場した。 2014年に同リーグに属する福岡J・アンクラスに入団、49試合に出場し3得点を記録、2年目にはチームの主将も務めた。
宮内 啓汰(みやうち けいた、1991年6月8日 - )は、… 宮内 啓汰(みやうち けいた、1991年6月8日 - )は、千葉県出身で、JFL・Honda FC所属のサッカー選手。
鍋田 亜人夢(なべた あとむ、1991年5月1日 - )は、… 鍋田 亜人夢(なべた あとむ、1991年5月1日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 小学生時代は地元のサッカークラブ、清水第八スポーツクラブの少年部でプレー。U-12日本選抜に原口元気や田口泰士らと共に選出されて第4回ダノンネーションズカップに出場した。 卒業後清水エスパルスのジュニアユースに入団。U-13、14日本選抜、ナショナルトレセンメンバーに選出された他、2006年度メニコンカップ出場メンバー (ALL WEST) にも選ばれ、前半34分に1得点を挙げた。 清水エスパルスユース在籍中の2009年12月、トップチームへの昇格が発表された。 2011年5月3日の第9節サンフレッチェ広島戦(アウスタ)で平岡康裕に代わり後半35分からプレーしたのが公式戦初出場となった。
中西 規真(なかにし のりまさ、1991年4月11日 - )… 中西 規真(なかにし のりまさ、1991年4月11日 - )は、兵庫県出身の元サッカー選手。ポジションは、ディフェンダー。 宝塚歌劇団元宙組トップ娘役実咲凜音の実弟。 小学生から父親の勧めでサッカーを始め、現SVICフットボールアカデミーの猪股洋陽代表に見出され中学時代はFCフレスカ神戸に在籍してチームの中心選手として活躍した。その後進学した滝川第二高校の2年次には第102回全国高校サッカー選手権大会にMFとして出場、ベスト8で大迫勇也の鹿児島城西高校に敗れた。当時のキャプテンが試合後のロッカールームで発した「大迫半端ない」は有名である。3年次は主将としてチームを率いたが惜しくも兵庫県大会決勝で敗れ、2010年に日本体育大学へ入学、同部OBの鈴木政一や倉又寿雄らの指導を受け、3年次からDFに転向、4年次まで関東大学サッカーリーグ1部で主力選手として活躍した。
田中 優毅(たなか まさき、1991年3月27日 - )は、… 田中 優毅(たなか まさき、1991年3月27日 - )は、千葉県市川市出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 四日市中央工業高校在学時には第85回、第87回の全国高校サッカー選手権大会に出場。第87回大会ではベスト8に進出。 日本体育大学2年次に布啓一郎率いるU-20日本代表に選出。AFC U-19選手権2010にも出場を果たす。関東大学サッカーリーグ戦(1部)にて活躍。 2013年、ギラヴァンツ北九州に入団。 2015年、松江シティFCへ移籍。 2016年、ヴィアティン三重へ移籍。 2018年、松江シティFCへ復帰。 2020年、東京ユナイテッドFCへ移籍。 2021年、南葛SCへ移籍。
渡辺 亮太(わたなべ りょうた、1991年3月11日 - )… 渡辺 亮太(わたなべ りょうた、1991年3月11日 - )は、東京都出身のプロサッカー選手。ポジションは、フォワード。 高校時代は無名だったが、日本体育大学の1年時に、布啓一郎が監督を務めるU-18日本代表候補に抜擢された。しかし怪我のため合宿に合流はかなわず、代表に定着することはできなかった。3年時にレギュラーに定着し、チームの関東大学サッカーリーグ戦1部昇格に貢献。自身は2部のベストイレブンに選ばれた。 2013年より、愛媛FCへ入団。 2016年より、AC長野パルセイロへ期限付き移籍。 2017年、J3に昇格したアスルクラロ沼津に完全移籍した。2017年12月26日藤枝MYFCに移籍
平野 又三(ひらの またぞう、1990年12月28日 - )… 平野 又三(ひらの またぞう、1990年12月28日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身のプロサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー(MF)。 9人兄弟の8番目に生まれ、小学校2年の時に三室サッカー少年団でサッカーを始めた。小学校6年で、浦和市の選抜メンバーで作るFC浦和に参加し、全日本少年サッカー大会で全国優勝を経験。三室中学校では浦和レッズジュニアユースに所属したが、ユースチームには上がることができなかった。ジュニアユース時代の同期には山田直輝、高橋峻希、永田拓也がいた。 2006年、長島裕明らに評価され、FC東京U-18に加入。左足の正確な鋭いキックを武器に サイドハーフやサイドバックを務めた。
小柳 達司(こやなぎ たつし、1990年2月7日 - )は、… 小柳 達司(こやなぎ たつし、1990年2月7日 - )は、千葉県市川市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ザスパ群馬所属。ポジションはディフェンダー(DF)、ミッドフィールダー(MF)。守備にいろいろな引き出しがあり、相手の戦術に合わせて対応できる。 千葉県市川市生まれ。幼少~高校生は埼玉県三郷市で暮らす。千葉県の専修大学松戸高等学校を経て、日本体育大学に進学。日本体育大学では1年生からレギュラーとして多くの試合出場を果たし、4年生の時に関東大学サッカーリーグ戦において、16年ぶりの2部優勝に貢献し、1部昇格を果たした。 2012年よりJ2のザスパ草津(現在はザスパクサツ群馬)に加入。ポジションは左右SBでの出場機会が多かったが、2013から14年はCBおよび3バック時のストッパーもこなすなど、ユーティリティープレイヤーとしての才能を見せ、1年目27試合、2年目40試合に出場した。
田中 謙吾(たなか けんご、1989年12月30日 - )は… 田中 謙吾(たなか けんご、1989年12月30日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手。ポジションは、ゴールキーパー。 暁星小学校、暁星中学校・高等学校を経て、日本体育大学を卒業。 2012年、JFLのAC長野パルセイロに加入。チームがJ3リーグに昇格した2014年にレギュラーを獲得し、33試合に出場した。 2019年、松本山雅FCに移籍。2020年シーズン終了後、契約満了が発表された。 2021年、AC長野パルセイロに再加入。 2022年、いわきFCに移籍。同年シーズンは選手会長を務めた。同年12月14日、次年度の契約を更新。 2024年10月15日、2024年シーズンをもって現役を引退することを発表。
藤嶋 洸(ふじしま ひかる、1989年4月5日 - )は、岩… 藤嶋 洸(ふじしま ひかる、1989年4月5日 - )は、岩手県八幡平市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 遠野高校3年時に、レギュラーとして選手権に出場。2試合連続ゴールを上げ第86回全国高等学校サッカー選手権大会ベスト8入りに貢献し大会優秀選手にも選出された。 その後は日本体育大学体育学部に進学。2012年、地元グルージャ盛岡に入団した。 2015年より、JFLのヴァンラーレ八戸 に移籍も、その年に退団。
岩尾 憲(いわお けん、1988年4月18日 - )は、群馬… 岩尾 憲(いわお けん、1988年4月18日 - )は、群馬県館林市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・徳島ヴォルティス所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 2011年に日本体育大学から湘南ベルマーレに加入。5月4日、J2第10節の水戸ホーリーホック戦でプロデビューを果たした。 2015年は水戸ホーリーホックに期限付き移籍。11月23日、J2第42節の京都サンガF.C.戦でプロ初ゴールを決めた。 2016年より徳島ヴォルティスに完全移籍。2017シーズンからはチームキャプテンに任命された。 2022年は浦和レッズに期限付き移籍、更に副キャプテンに任命された。2023年より完全移籍に移行。
齋藤 紀臣(さいとう のりおみ、1988年1月18日 - )… 齋藤 紀臣(さいとう のりおみ、1988年1月18日 - )は、東京都出身のサッカー選手。
浦田 和宏(うらた かずひろ、1987年12月15日 - )… 浦田 和宏(うらた かずひろ、1987年12月15日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
池田 浩子(いけだ ひろこ、1987年1月16日 - )は、… 池田 浩子(いけだ ひろこ、1987年1月16日 - )は、東京都出身の元女子サッカー選手。現作陽高校女子サッカー部監督。現役時代のポジションはDF。
伊藤 美菜子(いとう みなこ、1986年7月2日 - )は、… 伊藤 美菜子(いとう みなこ、1986年7月2日 - )は、神奈川県横須賀市出身の元女子サッカー選手である。ポジションはFW、MF。日本体育大学卒。 中学校時代までは地元の横須賀シーガルズFCに所属し、高校時代は神村学園高等部に所属した。高校卒業後は日本体育大学に進学し、同大サッカー部に所属しインカレなどで活躍。大学卒業後の2009年に東京電力女子サッカー部マリーゼに入団した。しかし、2011年に発生した福島第一原子力発電所事故の影響でクラブが活動を自粛(その後解散)したため、一時母校である日本体育大学へ移籍し、2012年にマリーゼの受け皿として発足したチャレンジリーグ(2部)所属のベガルタ仙台レディースに再移籍。
大友 麻衣子(おおとも まいこ、1985年11月17日 - … 大友 麻衣子(おおとも まいこ、1985年11月17日 - )は、神奈川県出身の元女子サッカー選手。日本体育大学出身。現役時代のポジションはゴールキーパー。元々はフィールドプレーヤー。高い身体能力と精度の高いロングキックが武器で、飛距離は当時のなでしこGK福元や海堀より上だった[要出典]。横断幕のキャッチコピーは「轟けキャノン砲 和製チラベルト」。現在はサッカー指導者。 横浜市立浜中学校1年次から横須賀シーガルズに所属し、神奈川県立磯子高等学校時代の3年間は神奈川県選抜に選出。元々はフィールドプレーヤー。高校3年時にGKへ転向。 日本体育大学時代は1年次から川澄奈穂美と共にレギュラーとして活躍し、インカレ優勝2回、準優勝1回に貢献する。
川澄 奈穂美(かわすみ なほみ、1985年9月23日 - )… 川澄 奈穂美(かわすみ なほみ、1985年9月23日 - )は、神奈川県大和市出身の女子サッカー選手。日本体育大学体育学部体育学科卒業。NWSLのシアトル・レインFC所属。サッカー日本女子代表。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。
矢野 貴章(やの きしょう、1984年4月5日 - )は、静… 矢野 貴章(やの きしょう、1984年4月5日 - )は、静岡県浜松市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・栃木SC所属。 ポジションはフォワード、ディフェンダー。元日本代表。 実兄の矢野晴之介は現在、日本体育大学サッカー部の監督を務める。 小学生時代はジュビロ浜北サッカースクールおよび静岡大学附属浜松サッカー少年団に在籍。中学生時代に在籍したヤマハジュビロSSではサイドバックを務めていたが、浜名高校在籍時にフォワードにコンバートされた。2001年にはU-17日本代表としてU-17世界選手権に出場し、5-1と大敗したフランス戦でゴールを決めた。2002年は、ジュビロ磐田の強化指定選手に登録された。 高校卒業時には4クラブから誘われた中からJ1・柏レイソルに入団。
河野 将吾(かわの しょうご、1983年9月28日 - )は… 河野 将吾(かわの しょうご、1983年9月28日 - )は、埼玉県出身のサッカー選手。ポジションはFW。
丸山 桂里奈(まるやま かりな、1983年3月26日 - )… 丸山 桂里奈(まるやま かりな、1983年3月26日 - )は、日本の女子サッカー選手。身長163cm。ポジションはフォワード。日本体育大学体育学部体育学科卒業。ホリプロ所属。
法師人 美佳(ほうしと みか、1982年2月20日 - )は… 法師人 美佳(ほうしと みか、1982年2月20日 - )は、東京都出身の女子サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 日本体育大学在学中の2001年、ユニバーシアード北京大会にユニバーシアード日本代表として出場。卒業後の2004年、浦和レッドダイヤモンズ・レディース(当時はさいたまレイナス)に入団。2009年にアルビレックス新潟レディースへ移籍し、翌2010年に現役を引退。通算70試合出場3得点。その後は埼玉県サッカー協会で女子委員会委員を務めているほか、日本サッカー協会が立ち上げた「JFAこころのプロジェクト」にも参加している。
田代 久美子(たしろ くみこ、1980年11月13日 ‐ )… 田代 久美子(たしろ くみこ、1980年11月13日 ‐ )は、愛知県出身の元女子サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代のポジションはディフェンダー。 日本体育大学卒業後の2003年にさいたまレイナスFCに加入。レイナスは2005年に浦和レッズレディースと名前が変更。加入以降不動のセンターバックとして活躍したが、2007年11月に前十字靭帯断裂と半月板損傷を負い、2008年の公式戦に出場することができなかった。同シーズン限りで現役を引退。 現役引退後は指導者に転身し、栃木サッカークラブレディースでの指導を経て、2014年に創部したばかりの山梨学院大学女子サッカー部の監督に就任。 山梨学院大学では、関東大学女子サッカーリーグの3部から1部へとチームを昇格させ、2022年1月に行われた第30回全日本大学女子サッカー選手権では3位に導き、肝付萌、岩下胡桃、鈴木日奈子などの教え子がプロ入りを果たしている。
須田 興輔(すだ こうすけ、1980年2月4日 - )は、茨… 須田 興輔(すだ こうすけ、1980年2月4日 - )は、茨城県古河市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。日本体育大学卒業。 2003年に水戸ホーリーホックの練習生として加入。そして翌年にトップ選手として登録された。かつてFWだったことから、水戸では一時期チーム得点王となっていたこともある。2005年7月8日の湘南戦ではフリーキックを直接決め、チームを逆転勝利に導くなどの活躍を見せた。また、背番号がかつて社長と呼ばれていた木澤正徳の2番を受け継いでいることから、社長の遺伝子を継ぐ男と呼ばれていた。 2006年に水戸を退団、湘南ベルマーレに移籍。 2007年には群馬県社会人リーグ1部(当時)の図南SC群馬(現:tonan前橋)に移籍。
大畑 隼哉(おおはた じゅんや、1979年4月6日 - )は… 大畑 隼哉(おおはた じゅんや、1979年4月6日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。 1995年、サンフレッチェ広島ユースに入団、同期生は石川裕司、秋元雅博、行友亮二ら。 1998年にトップとトレーニー(練習生)契約。同期入団は、大久保誠、石川、池端陽介、植田元輝、行友、秋元、山下一弥。しかし翌年1999年に戦力外通告を受け、大学進学を目指し、2000年に日本体育大学へ進学した。
青木 知里(あおき ちさと、1979年1月29日 - )は、… 青木 知里(あおき ちさと、1979年1月29日 - )は、東京都府中市出身の元女子サッカー選手である。現役時代のポジションはディフェンダー (右サイドバック)。 1999年、所属していた日本体育大学女子サッカー部が、試験的措置として第11回日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)に参加することとなり、12試合に出場した。 チームは成績(14試合1勝0分13敗で8チーム中8位)の関係などにより、わずか1年限りでリーグ撤退となったが、卒業した2001年にYKK APフラッパーズに入団し、L・リーグで再びプレー。またこの年はユニバーシアード日本女子代表として北京大会に出場した。 国民体育大会では2004年大会と2007年大会で選手兼監督として出場。
鍋島 將起(なべしま まさき、1978年10月19日 - )… 鍋島 將起(なべしま まさき、1978年10月19日 - )は、北海道紋別市出身の元サッカー審判員。 特にJ2担当初期はカードを多く出す傾向にあり、1試合平均で5枚を超えるイエローカードを出した年もあった(これに伴って、退場者も多く出していた)。 東京Vが獲得したPKを仙台GK高桑大二朗が「キッカーが蹴る前に動いた」という副審の判定を受けて、3回目に東京Vが成功するまで蹴り直しを命じた。加えて、PKの際に右足首を負傷した仙台DF白井博幸をピッチ外に出すことを仙台控えGK小針清允が要求すると、これを抗議と受け取り退場処分とするなどこのPKやり直しの判定に絡み4枚のカードを仙台側の選手に出した。なお、これ等の判定に怒ったベガルタ仙台のサポーターがアウェー側の改修ゾーンの椅子を破壊する事件が起きた。
鈴木 陽平(すずき ようへい、1978年7月26日 - )は… 鈴木 陽平(すずき ようへい、1978年7月26日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションは、ディフェンダー(DF)。 日本体育大学を卒業後、オランダのGVVV(英語版)を経て、2002年8月ヴァンフォーレ甲府に加入。しかし試合出場は無く、この年限りで戦力外に。2003年から横浜スポーツ&カルチャークラブに所属し、中心選手として活躍し、2011年からは監督を兼任。2012年シーズン終了後に退団。現役引退後は、横浜市の高校教員(体育科)に転職した。
坂本 將貴(さかもと まさたか、1978年2月24日 - )… 坂本 將貴(さかもと まさたか、1978年2月24日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市緑区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 名前は「将貴」とも表記される。日本体育大学体育学部体育学科卒業。 2000年にジェフ市原(当時)に入団。大学時代までは攻撃的なポジションの選手だったが、クラブでは守備力に注目されて、右サイドのレギュラーに定着。以後、チーム事情によって時折、ストッパーやボランチとしてプレーする事もある。 2001年J1優秀新人賞獲得。 2005年と2006年のオシム監督時代のナビスコカップ連覇に貢献、また2005年の最終節J1名古屋戦でゴール決めた。
大塚 晴弘(おおつか はるひろ、1975年4月11日 - )… 大塚 晴弘(おおつか はるひろ、1975年4月11日 - )は、神奈川県綾瀬市出身 のサッカー審判員。元FIFA(国際サッカー連盟)国際副審、元プロフェッショナルレフェリー。 綾瀬市立城山中学校、神奈川県立ひばりが丘高等学校を経て日本体育大学体育学部体育学科卒業。在学中に2級審判員の資格を取得する。卒業後、海上自衛隊勤務の傍ら1級審判員資格を取得し、2007年から日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の審判員(副審)を務める。自衛隊勤務時は全国自衛隊サッカー大会の審判にも携わっていたという。 2009年からは日本サッカー協会からの推薦で国際審判員(副審)に登録され、2010年5月24日には家本政明・名木利幸と共にイングランド代表対メキシコ代表の国際親善試合の審判団として派遣されている。
間瀬 秀一 (ませ しゅういち、1973年10月22日 - … 間瀬 秀一 (ませ しゅういち、1973年10月22日 - ) は、三重県四日市市出身の元サッカー選手。サッカー指導者、通訳者。 小学校3年からサッカーを始め、小・中学校時代は地域代表にも選ばれた。[要出典]暁中学校・高等学校卒。 1996年、日本体育大学卒業後にアメリカ合衆国に渡る。1997年、ユナイテッドサッカーリーグのクラブとプロ契約。その後、メキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、クロアチアの2部、3部リーグでプレー。シンガポールリーグへの挑戦も試みるが、2002年に帰国し引退した。スピードを特徴とするトップ下で、現役最後の所属クラブ、トルニェの監督は、アグレッシブさ、フィジカル、機敏さ、ドリブル、ジャンプ力に特長があり、特にスピードは優れていると評価されていた。
坂田 恵(さかた めぐみ、1971年10月18日 - )は、… 坂田 恵(さかた めぐみ、1971年10月18日 - )は、熊本県菊池郡大津町出身の元女子サッカー日本代表選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。熊本県立大津高等学校、日本体育大学卒業。 高校からサッカーを始める。日本体育大学在学中に日本女子代表へ招集され、1989年12月24日に行われた第7回AFC女子選手権ネパール戦(香港・モンコック)で初出場した。 翌1990年には日本女子サッカーリーグ・日産FCレディースに加入し、新人ながら全試合に出場した。翌年には第1回FIFA女子選手権(W杯)のメンバーに選ばれたが、チーム廃部により1994年にプリマハムFCくノ一へ移籍。1995年の第7回日本女子サッカーリーグでチーム初優勝に貢献し、また第2回FIFA女子選手権(W杯)のメンバーにも選ばれた。
高嵜 理貴(たかさき りき、1970年7月11日 - )は福… 高嵜 理貴(たかさき りき、1970年7月11日 - )は福岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー(GK)。日本体育大学卒業。 直方市立直方第二中学校、北筑高校、日本体育大学を経て、1993年に当時ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)2部だったPJMフューチャーズに加入。第二GK・第三GKの立場であったが、クラブが佐賀県に移転し鳥栖フューチャーズになって以降もプレーを続けた。1997年1月にクラブは解散し、その受け皿として設立されたサガン鳥栖に加入。フューチャーズからサガンで引き続きプレーした8選手の一人となった。 サガンになってからは4シーズン正GKとしてゴールマウスを守るが、2001年にジェフユナイテッド市原に完全移籍。
森 淳(もり あつし、1964年4月5日 - )は、神奈川県… 森 淳(もり あつし、1964年4月5日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカークラブスタッフ。 神奈川県立旭高等学校、日本体育大学を経て、日本サッカーリーグ(JSL)のフジタ工業サッカー部(のちのベルマーレ平塚、湘南ベルマーレ)に在籍。 1988年には日本代表の西アジア遠征メンバーに選ばれたが、試合出場はなかった。 29歳で現役を退き、1994年に同年よりJリーグに参入したベルマーレ平塚のクラブスタッフとなる。スカウトとなって一年目に当時Jリーグの12クラブ中11クラブが獲得に乗り出していた中田英寿の獲得に成功する。その後は石原直樹、中町公祐らを獲得。 2005年から2009年までベガルタ仙台にて強化部チーフスカウトを務める。
山本 佳司(やまもと けいじ、1963年11月21日 - )… 山本 佳司(やまもと けいじ、1963年11月21日 - )は、滋賀県甲賀市出身の元アマチュアレスリング選手、サッカー指導者。滋賀県立野洲高等学校保健体育科教諭で同校のサッカー部総監督を務めている。 日本体育大学時代はレスリングの選手として活躍。卒業後の1986年、ドイツ・ケルン体育大学に留学し、そこでサッカーと出会う。当時マスコミは素人監督の快挙と持て囃したが、中学時代はサッカー部で活躍した。高校、大学とレスリング部ではあるが、満更素人でもなかったという話である「同級生談より」[要出典]。 帰国後、水口東高校を経て、1996年に野洲高校に赴任。就任当時、無名で部員数16人しかいなかったサッカー部を、2002年の高校選手権に初出場でベスト8に導く。
布 啓一郎(ぬの けいいちろう、1960年12月21日-)は… 布 啓一郎(ぬの けいいちろう、1960年12月21日-)は、千葉県習志野市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 体育教師志望で日本体育大学に一般入試で受験し合格した。所属したサッカー部では三軍からレギュラーを勝ち取り全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)でも優勝している。 日体大卒業後、1984年に船橋市立船橋高等学校に赴任し、サッカー部監督に就任。これ以降、1987年、88年の高校総体連覇をはじめ、高校選手権4回の優勝などの成績を残した。2000年に日本サッカー協会公認のS級ライセンスを取得した。 2003年、船橋市立船橋高校を退職し、U-16日本代表監督に就任したが、日本で開催されたAFC U-17選手権2004は1次リーグで敗退し、2005 FIFA U-17世界選手権出場は成らなかった。
奥谷 彰男(おくたに あきお、1959年11月1日 - )は… 奥谷 彰男(おくたに あきお、1959年11月1日 - )は、大阪府高槻市出身のサッカー審判員(元・国際副審)。日本体育大学卒業。
倉又 寿雄(くらまた ひさお、1958年12月1日 - )は… 倉又 寿雄(くらまた ひさお、1958年12月1日 - )は埼玉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(右サイドバック)。武南高校及び日本体育大学卒業。
塚田 雄二(つかだ ゆうじ、1957年12月28日 - )は… 塚田 雄二(つかだ ゆうじ、1957年12月28日 - )は、山梨県甲府市出身 の元サッカー選手、サッカー指導者。Uスポーツクラブ代表。 中学1年の途中からサッカーを始める。山梨県立韮崎高等学校時代にはインターハイに優勝し、体育教師を目指して日本体育大学に進学。卒業後は山梨に戻り高校の教員としてサッカー部を指導していたが、その後、高校を辞めて幼稚園で体育の指導および園児たちを対象としたサッカー教室を始める。またそれらと並行して日本サッカーリーグ2部(JSL2部)に在籍していた甲府サッカークラブ(現 ヴァンフォーレ甲府)で選手として1980年より9年間活動した。 ドイツのケルンで見た地域に根ざしたスポーツクラブのあり方に感化され、1989年に「Uスポーツクラブ」を設立する。
松木 安太郎(まつき やすたろう、1957年11月28日 -… 松木 安太郎(まつき やすたろう、1957年11月28日 - )は、東京都中央区出身の元サッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。日本体育大学体育学部体育学科卒業。 従弟には築地市場場内のマグロ仲卸の生田與克。祖父は大相撲力士の葵龍(最高位は十両)。 実家は東京都中央区日本橋にある明治2年創業の老舗のうなぎ屋「近三」。幼稚園時代から小学校2-3年の間、藤城清治主宰の人形劇団「木馬座」で、ケロヨンの相棒「もぐらのモグちゃん」の着ぐるみに入って演じていた。 暁星小学校時代からサッカーに打ち込み、小柄な体躯ながらゴールキーパーを務めていた。学校の代表チームである暁星アストラの選手に選ばれると小学6年生の時には全国サッカー少年団大会(全日本少年サッカー大会の前身)に出場した。
鈴木 政一(すずき まさかず、1955年1月1日 - )は、… 鈴木 政一(すずき まさかず、1955年1月1日 - )は、山梨県出身の元サッカー選手・サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。 サッカーを始めたのは中学3年の時と遅かったが、山梨県立石和高等学校、日本体育大学ではそれぞれ主将を務めた。大学時代は全日本大学サッカー選手権大会で法政大学を破り優勝も経験している。その後1977年にヤマハ発動機サッカー部(Jリーグ所属のジュビロ磐田の前身)に入団。以来、2010年まで選手・指導者時代を通して30年以上ヤマハ・磐田に在籍した(ちなみにプロ契約はしていない「サラリーマン」であった)。選手としては1982年の天皇杯に優勝している。 1984年にヤマハのコーチに就任後、1995年までヤマハでコーチ・総監督、磐田でサテライト監督を務め、その後はフロント入りしていたが、2000年6月にトップチームのコーチとして現場に復帰。
数野 篤人(かずの あつひと、1954年 - )は、山梨県甲… 数野 篤人(かずの あつひと、1954年 - )は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手。山梨県立機山高等学校、日本体育大学卒業。 山梨県立機山工業高等学校を経て、1973年に日本体育大学に進学。日体大時代は2年次からレギュラーとなり、1974年度の春季対抗戦(関東大学サッカーリーグ戦一部)優勝、1975年度の全日本大学選手権大会優勝に貢献した。卒業後は郷里の山梨県で教師を務める傍ら日本サッカーリーグ(JSL)2部の甲府サッカークラブ(日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟のヴァンフォーレ甲府の前身)に在籍。1978年シーズンにJSL2部で12得点を挙げ得点王に輝き、リーグ戦3位の原動力となった。 教職としては山梨県北杜市立小淵沢中学校校長、甲府市立甲運小学校校長、甲府市立上条中学校校長などを歴任後2014年3月に退職[要出典]。
眞藤 邦彦(しんどう くにひこ、1953年5月4日 - )は… 眞藤 邦彦(しんどう くにひこ、1953年5月4日 - )は、広島県出身のサッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現職は日本サッカー協会 (JFA) インストラクター。 1976年に日本体育大学体育学部体育学科を卒業後、広島市立中学校で6年間教員として勤務、その後広島市立沼田高等学校・広島市立広島工業高等学校に教員として勤務、サッカー部で指導を行った。1997年にJFA 公認S級コーチライセンスを取得。 2003年4月より3年間、広島市教育委員会付のままサンフレッチェ広島へ派遣され、育成組織(アカデミー)で活動。2004年から2年間は強化部育成部長として活動した。2006年4月から3年間はJFAに派遣され、JFA技術委員・Jリーグ技術委員を務めながらJFA指導者養成プログラムで要職を務めた。
Template:Infobox サッカー関係者 国井 精一… Template:Infobox サッカー関係者 国井 精一(くにい せいいち、1951年〈昭和26年〉4月14日 - )は、日本のサッカー指導者。聖和学園高等学校女子サッカー部創設者・初代監督。後任の監督は、教え子であり元日テレ・ベレーザ選手の曽山加奈子。現在は東北福祉大学男女サッカー部監督を務める。 2021年には、日本サッカー協会(JFA)の創立100周年記念表彰において、長年の女子サッカー普及・発展への貢献を称え「功労表彰」を受賞した。 宮城県岩沼市出身。小学6年時よりサッカーを始め、宮城県工業高等学校から日本体育大学へ進学。選手時代はDFとして、天皇杯、全日本大学サッカー選手権大会、国民体育大会などに出場した。
志波 芳則(しわ よしのり、1950年12月1日 - )は、… 志波 芳則(しわ よしのり、1950年12月1日 - )は、福岡県福岡市出身のサッカー指導者。東福岡高等学校サッカー部の監督、総監督を務めた。福岡商業高校(現福岡市立福翔高校)、日本体育大学卒(1972年)。 東福岡高等学校監督に就任すると、寺西忠成コーチ(八幡製鉄サッカー部を率いた名将)との二人三脚で1990年代を通じて高校サッカー界を代表する強豪校にまで育て上げた。1997年には高校総体、全日本ユース、高校選手権の三冠を達成、公式戦52戦無敗記録を達成した。 これまで小島宏美、山下芳輝、本山雅志、長友佑都らを日本代表やJリーグへと送り出している。 現在は総監督の肩書で、森重潤也監督と共に東福岡高等学校サッカー部の指導を行っている。
綾部 美知枝(あやべ みちえ、旧姓: 押見、1948年11月… 綾部 美知枝(あやべ みちえ、旧姓: 押見、1948年11月4日 - )は、日本の女性教育者、サッカー指導者。日本体育大学女子短期大学部卒業。静岡県清水市(現静岡市清水区)出身。元・日本サッカー協会特任理事、静岡市生活文化局文化スポーツ部参与兼サッカーのまち推進室長。日本初の女性サッカー指導者と呼ばれる人物である。 清水市立江尻小学校在学時に堀田哲爾からサッカーの指導を受けるが競技には傾倒せず、中学と高校では陸上競技やバレーボール、日本体育大学女子短期大学部在学時には創作ダンスに打ち込んだ。 1969年、清水市立飯田小学校に赴任。担任をすることになった2年生の生徒に誘われサッカーを始めると、恩師である堀田の下を生徒と共に訪れ指導法を学び、同小学校に「飯田ファイターズ」を結成した。
横森 巧(よこもり たくみ、1942年7月27日 - )は、… 横森 巧(よこもり たくみ、1942年7月27日 - )は、山梨県東山梨郡勝沼町(現・山梨県甲州市)出身の元サッカー選手および現サッカー指導者・解説者。 山梨県立日川高等学校在学中よりサッカーを始め、日本体育大学入学後もサッカー部に入部した。大学卒業後は高校教諭となり、1968年に(昭和43年)山梨県立谷村工業高等学校に赴任してサッカー部の監督に就任し、関東大会に出場した。その傍ら甲府サッカークラブで1973年 (昭和48年)6月までプレーして主将も務めた。 現役を引退した1973年(昭和48年)より山梨県立韮崎高等学校に赴任となり、サッカー部の監督に就任。1975年(昭和50年)に全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会で優勝した。
浅見 俊雄(あさみ としお、1933年10月3日 - )は、… 浅見 俊雄(あさみ としお、1933年10月3日 - )は、日本の元サッカー審判員、元サッカー選手、元サッカー指導者。東京大学・日本体育大学名誉教授。元国立スポーツ科学センター長、日本サッカー協会顧問、アジアサッカー連盟規律委員会副委員長。 埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。東京大学教育学部体育学科卒業。選手時代のポジションはハーフバック。埼玉県立浦和高等学校2年次の1950年に国民体育大会準優勝、3年次の1951年に高校選手権、国体、関東大会の三冠に貢献した。また同年には公式戦28試合、練習試合24試合の合計52試合無敗の記録を残した。その後、東京大学に進学し運動会ア式蹴球部に所属。1952年度(1953年1月)第1回大学選手権にて優勝。