スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
岩渕 弘人(いわぶち ひろと、1997年9月17日 - )は… 岩渕 弘人(いわぶち ひろと、1997年9月17日 - )は、岩手県一関市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ベガルタ仙台所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。 仙台大学サッカー部出身。同期に松尾佑介がいた。 2020年、当時JFL所属のいわきFCに加入。 2022年6月4日のJ3第11節Y.S.C.C.横浜戦で自身プロ初、いわきFCとしてもJリーグ入会後初となるハットトリックを達成し、2022年6月度のJ3月間MVPを受賞した。同年10月30日の試合中に負傷し、右前十字靱帯と外側半月板損傷により全治約半年と診断された。 2023年6月24日のJ2第22節の大宮アルディージャ戦で復帰、J2初ゴールを決めると、以降4試合連続ゴールを記録。
赤塚 京介(あかつか きょうすけ、1991年6月9日 - )… 赤塚 京介(あかつか きょうすけ、1991年6月9日 - )は、岩手県出身の元サッカー選手。ポジションはFW。
吉田 吏玖(よしだ りく、1991年5月31日 - )は、岩… 吉田 吏玖(よしだ りく、1991年5月31日 - )は、岩手県出身のプロサッカー選手。ソニー仙台FC所属。
鈴木 諒(すずき りょう、1990年8月7日 - )は、宮城… 鈴木 諒(すずき りょう、1990年8月7日 - )は、宮城県出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード。
藤嶋 洸(ふじしま ひかる、1989年4月5日 - )は、岩… 藤嶋 洸(ふじしま ひかる、1989年4月5日 - )は、岩手県八幡平市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 遠野高校3年時に、レギュラーとして選手権に出場。2試合連続ゴールを上げ第86回全国高等学校サッカー選手権大会ベスト8入りに貢献し大会優秀選手にも選出された。 その後は日本体育大学体育学部に進学。2012年、地元グルージャ盛岡に入団した。 2015年より、JFLのヴァンラーレ八戸 に移籍も、その年に退団。
橋場 貴之(はしば たかゆき、1988年4月8日 - )は、… 橋場 貴之(はしば たかゆき、1988年4月8日 - )は、岩手県久慈市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
千葉 裕也(ちば ゆうや、1986年4月30日 - )は、岩… 千葉 裕也(ちば ゆうや、1986年4月30日 - )は、岩手県出身のフットサル選手、サッカー選手。 岩手県立遠野高等学校ではサッカー部に所属。高校卒業後グルージャ盛岡に入団し、DFやMFとしてプレーした。2007年にはグルージャ盛岡を退団し、サッカーからフットサルに転向。Fリーグのステラミーゴいわて花巻に入団。2009年にはU-24フットサル日本代表候補に選ばれている。 2011年にはステラミーゴいわて花巻を退団し、サッカー競技に復帰。盛岡ゼブラに入団した。 体格を活かした空中戦を得意とする。 現役の時の背番号は27だったが本来は29(にく)がよかった。
倉沢 飛輝(くらさわ たかき、1985年11月4日 - )は… 倉沢 飛輝(くらさわ たかき、1985年11月4日 - )は、岩手県盛岡市出身のフットサル選手、サッカー選手。 岩手県立遠野高等学校ではサッカー部に所属。 2011年、東北フットサルリーグ1部アトレチコ郡山からステラミーゴいわて花巻に移籍。2011-12シーズン第24節府中アスレティックフットボールクラブ戦でFリーグデビューを果たした。
高橋 臣徳(たかはし たかのり、1984年8月21日 - )… 高橋 臣徳(たかはし たかのり、1984年8月21日 - )は、岩手県北上市出身のサッカー選手。ポジションはDF。TDK親和会サッカー部所属。
照井 篤(てるい あつし、1980年7月19日 – )は、岩… 照井 篤(てるい あつし、1980年7月19日 – )は、岩手県出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 国士舘大学から湘南ベルマーレに加入し、FCホリコシ、栃木SCを経て2009年に地元・岩手県のFCガンジュ岩手に加入。サッカー選手としてプレーする傍らでサッカー指導者としても活動していたが、2010年より将来のJリーグ参加を目指すヴァンラーレ八戸へ移籍。2013年限りで現役を引退。2014年からは、ヴァンラーレU-15のコーチ、2017年よりヴァンラーレ八戸のトップチームのコーチを務めている。
浅利 真(あさり しん、1977年5月4日 - )は、岩手県… 浅利 真(あさり しん、1977年5月4日 - )は、岩手県出身のフットサル選手、フットサル指導者。 岩手県立遠野高等学校から山形大学に入学。 1997年、浅利を中心とした山形大学サッカー部のメンバーを中心にフットサルチームFC小白川(現Paragosto/T.F.N.)を結成。1999年にチームの主将として第5回全日本フットサル選手権大会3位の原動力となった。 2000年から2001年にかけてフットサル日本代表に選出された。 2002年にはこれまでのフットサルでの活動などを評価され山形大学から学長表彰を受ける。 2007年にはFリーグステラミーゴいわて花巻に入団。 2010年にはVIVALE一関監督(選手兼任)に就任。
菊池 直喜(きくち なおき、1973年7月3日 - )は、岩… 菊池 直喜(きくち なおき、1973年7月3日 - )は、岩手県遠野市出身の元サッカー選手でサッカー指導者。
菊池 利三(きくち としみ、1973年6月17日 - )は、… 菊池 利三(きくち としみ、1973年6月17日 - )は、岩手県遠野市出身の、元サッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック、センターバック)、ミッドフィールダー(守備的MF、左サイドハーフ)。 サッカー指導者の菊池新吉は実兄。 遠野市立遠野中学校を卒業後に岩手県立遠野高等学校に入学。高校2年時に第69回全国高等学校サッカー選手権大会に出場している。高校卒業後、ヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)に入団。1995年にリーグ戦初出場。1996年にU-23日本代表に選出された。その後、複数のクラブに期限付き移籍した後、古巣の東京Vに戻るが、2002年に戦力外通告を受けて引退した。
奥友 敏朗(おくとも としあき 1969年8月13日 - )… 奥友 敏朗(おくとも としあき 1969年8月13日 - )は、岩手県出身の元サッカー選手。
菊池 新吉(きくち しんきち、1967年4月12日 - )は… 菊池 新吉(きくち しんきち、1967年4月12日 - )は、岩手県遠野市出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。サッカー指導者の菊池利三は実弟。 後述のように育った環境はお世辞にもいいとは言い難いものだったが、読売サッカークラブ入団後は藤川孝幸を抑えてレギュラーを獲得。Jリーグではヴェルディ川崎で三浦知良、武田修宏、ラモス瑠偉、北澤豪、ルイス・カルロス・ペレイラ、柱谷哲二、都並敏史等と共にスタメンの座を不動のものにする。Jリーグ開幕後は、地元・遠野で「菊池新せんべい」なるものが発売されたほどであった。 1993年にはシーズン15完封のJ1記録(2014年に浦和レッズの西川周作が抜かれるまでトップだった)、1stステージ2位と2ndステージ制覇と初代王座、1994年にはJリーグベストイレブン・日本代表にも選出され2年連続チャンピオンに貢献している。
岩渕 弘幹(いわぶち ひろもと、1966年7月3日 - )は… 岩渕 弘幹(いわぶち ひろもと、1966年7月3日 - )は、岩手県出身の元サッカー選手。現在は、川崎フロンターレ育成普及担当で専修大学サッカー部のコーチ。日本サッカー協会公認 S級ライセンス保持者。 岩手県立遠野高等学校から川崎フロンターレの前身チームである富士通サッカー部に入団。1995年に引退し、翌年より富士通サッカー部のコーチに就任。以降、川崎フロンターレのコーチ、ユース監督などを務めた。 2019年4月までは川崎フロンターレ育成普及担当・スクールグループ長・兼普及活動グループ長を務めながら専修大学サッカー部のコーチもしていたが、2019年4月より山梨学院大学サッカー部監督に就任した
五十嵐 和也(いがらし かずや、1965年10月24日 - … 五十嵐 和也(いがらし かずや、1965年10月24日 - )は岩手県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(センターバック、右サイドバック)。 岩手県立遠野高校を卒業後、1984年に古河電工に入団。2年目の1985年にレギュラーの座を掴み、同シーズンの日本サッカーリーグ(JSL)優勝に貢献。1986-1987シーズンには日本のクラブとして初のアジア制覇となったアジアクラブ選手権のタイトルを獲得する。 1992年にJリーグが発足した後も古河電工の後身クラブであるジェフユナイテッド市原でプレーし、94年はレギュラーだった。1996年までプレー。ジェフ退団後は、当時関東リーグ所属の横河電機に移籍し、1999年より日本フットボールリーグ昇格、2000年シーズンで現役を退いた。
及川 浩二(おいかわ こうじ、1962年4月3日 - )は、… 及川 浩二(おいかわ こうじ、1962年4月3日 - )は、岩手県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF。 岩手県立遠野高等学校から国士舘大学を経て、1985年、日本サッカーリーグの日本鋼管サッカー部に入る。即戦力の司令塔として、巧みなボールコントロールとスルーパスで期待に応え、リーグ3年連続の2位に大きく貢献。また、天皇杯準優勝(1986年度)やJSLカップ優勝(1987年)など、チーム躍進の中心選手として活躍した。
菊池 幸見(きくち ゆきみ、1960年〈昭和35年〉6月25… 菊池 幸見(きくち ゆきみ、1960年〈昭和35年〉6月25日 - )は、IBC岩手放送のアナウンサー、作家。1983年にIBC岩手放送に入社。『爆発ワイドラジオ新鮮組』(以下「新鮮組」)や『IBC TOP40』など、数多くの人気番組を担当した。現在、岩手県盛岡市在住。
多田 一彦(ただ かずひこ、1958年7月1日 - )は、日… 多田 一彦(ただ かずひこ、1958年7月1日 - )は、日本の政治家。岩手県遠野市長(2期)。行政書士。 岩手県遠野市出身。1977年岩手県立遠野高等学校卒。高校時代はサッカー部で、全国大会出場を経験した。1981年青山学院大学法学部卒。同年遠野市役所勤務。その後、市役所を退職し、首都圏の会社に勤務する。遠野市と宮守村の合併後に「宮守ブロイハウス、コテージランドかしわぎ」を運営する柏木平レイクリゾート(株)の代表取締役社長に就任し、その経営に当たる。2011年3月の東日本大震災により、NPO法人「遠野まごころネット」を結成し、理事として活動する。 2017年の遠野市長選挙に立候補したが、現職の本田敏秋との一騎打ちに敗れ落選した。
菊池 弥生(きくち やよい、1954年 - )は、日本の博物… 菊池 弥生(きくち やよい、1954年 - )は、日本の博物館学および国際交流の専門家。NPO法人「少年ケニヤの友」理事。岩手県出身。 遠野市出身。岩手県立遠野高等学校、駒澤大学文学部国文学科卒業。アジア・アフリカ語学院アフリカ語科スワヒリ語専攻、英国レスター大学大学院博物館学研究科博物館教育専攻修士課程修了。 日本大使館付属ナイロビ日本人学校教員、駐日ケニア大使館大使秘書、在ケニア国際協力機構博物館個別専門家、文部科学省派遣ナイロビ日本人学校国際交流ディレクターを歴任。 NPO法人「少年ケニヤの友」ケニア事務所ディレクターを経て、同法人理事。遠野文化研究センター研究員。 岸田袈裟と共にアフリカで国際交流・支援活動を行い、2010年からは岸田の仕事を引き継いでいる(菊池は岸田の姪)。
古前田 充(こまえだ みつる、1950年4月14日 - )は… 古前田 充(こまえだ みつる、1950年4月14日 - )は、岩手県盛岡市出身の元サッカー選手(MF)・サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。 遠野高校、大阪商業大学を経て、1973年にJSLの藤和不動産へ入部。今井敬三と共にフジタの守備の中心選手で、JSLベストイレブンに5度(1976年-1977年, 1979年-1981年)も選出され、1977年にはセイハン比嘉と共に7アシストでJSLアシスト王を獲得。3度のJSL1部優勝(1977年, 1979年, 1981年)と2度の天皇杯制覇(1977年, 1979年)に貢献したほか、日本代表にも選出。ムルデカ大会・キリンカップ・ヨーロッパ遠征に出場し、国際Aマッチでは2試合2得点を記録。
本田 敏秋(ほんだ としあき、1947年(昭和22年)8月1… 本田 敏秋(ほんだ としあき、1947年(昭和22年)8月10日 - )は、日本の政治家。元岩手県遠野市長(5期)。 岩手県出身。岩手県庁職員を経て、2002年(平成14年)4月に遠野市長に初当選。宮守村との合併前後の通算で5期20年、遠野市長を務めた。「どぶろく特区」発案や地域再生などの「田舎のよさを引き出す」ことを念頭においた施策をアピールしていた。 遠野市を「民話のふるさと」から「日本のふるさと」への脱皮させ「遠野」のネームバリュー向上を実績として掲げていた。 また、深刻な医師不足への対策や中央省庁との人的交流等、中央とのパイプ作りといった施策もアピールしていた。都会からの移住支援制度「ふるさと市民制度」を提唱も行っていた。
岸田 袈裟(きしだ けさ、1943年4月5日 - 2010年… 岸田 袈裟(きしだ けさ、1943年4月5日 - 2010年2月23日、旧姓・菊池)は、日本の食物栄養研究家、ボランティア活動家。岩手県上郷村(現遠野市)出身。 岸田は1991年にJICAのボランティアとして人口抑制教育のためにケニヤ西部、ヴィクトリア湖畔のエンザロ(Enzaro)村に赴く。1年半の調査の結果、人口抑制教育を村に浸透させるためには乳児死亡率の減少が先だと考えた岸田は1993年、自らが遠野市で生活していた頃の経験をもとに、エンザロ村の主婦たちに現地の材料で日本式の竈(かまど)を作って調理することを教えた。この竈は、現地で従来行われていた裸火での調理に比べて熱効率に優れることや、鍋をかける口を3つ備えているため複数の調理を同時に行えるほか、薪も従来の4分の1で済むなどの利点もある。
立花 照人(たちばな てるひと、1943年3月4日 - 20… 立花 照人(たちばな てるひと、1943年3月4日 - 2015年3月19日[要出典])は、岩手県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 遠野高校から1961年に阪急ブレーブスに入団。1試合しか出場できず(捕手登録だが一塁手として出場)、1962年に引退。引退後は地元岩手で食堂を経営。また、野球活動も務めており岩手プロ野球OB振興会の会長や岩手21赤べこ野球軍団の設立にも関わった。
林崎 千明(はやしざき ちあき、1938年〈昭和13年〉3月… 林崎 千明(はやしざき ちあき、1938年〈昭和13年〉3月25日 - )は、日本の海上自衛官。第20代海上幕僚長。 岩手県遠野市出身。遠野高校を経て防衛大学校(第4期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「ちくご」艦長、第2護衛隊群司令、海上幕僚監部防衛部長、大湊地方総監、佐世保地方総監等の要職を歴任し、第20代海上幕僚長に就任。
菊池 正(きくち しょう、1924年〈大正13年〉8月26日… 菊池 正(きくち しょう、1924年〈大正13年〉8月26日 - 2004年〈平成16年〉4月17日)は、日本の政治家。岩手県遠野市長(2期)。岩手県議会議員(4期)。遠野市議会議員(4期)。 現在の岩手県遠野市出身。旧制岩手県立遠野中学校(現在の岩手県立遠野高等学校)卒業。1963年(昭和38年)遠野市議会議員に無所属で立候補して当選。同年4月30日に就任した。4期務める。また、1975年(昭和50年)5月19日から1979年(昭和54年)3月27日まで市議会副議長を務めた。同日、岩手県議会選挙立候補のために辞職した。同年、県議選に遠野選挙区から自民党公認で立候補して、無投票で当選を果たした。
石原 繁三(いしはら しげぞう、1914年1月17日 - 1… 石原 繁三(いしはら しげぞう、1914年1月17日 - 1946年4月)は、千葉県出身のプロ野球選手(投手)。戦後東映フライヤーズで内野手として活躍した石原照夫は弟に当たる。 1930年に埼玉県の川越中学校から岩手県の遠野中学校へ転校。1932年に遠野中のエースとして東北大会を優勝し、第18回全国中等学校優勝野球大会へ出場した。卒業後に鉄道省へ入る。 1936年に東京セネタースへ入団。岩手県の学校卒業者として初のプロ野球選手となった。この年の春季リーグで9試合に登板し4勝を記録。翌年に召集されるが、1940年に復帰。1941年は大洋軍へ移籍し、同年すぐに黒鷲軍へ移籍。1942年に20勝を記録した。
菊池 勇夫(きくち いさお、1898年6月21日 - 197… 菊池 勇夫(きくち いさお、1898年6月21日 - 1975年7月13日)は、日本の法学者、九州大学名誉教授、日本学士院会員。 1898年、岩手県遠野で生まれた。第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部に進学。卒業後は同大学の副手となった。 1924年、ILO東京支局職員として勤務。1926年より欧米に留学を命じられた。1928年、九州帝国大学助教授に就いた。1929年に教授昇格。1943年から1945年には法文学部長を務めた。 1949年、第9代九州大学総長に就いた。1953年、日本学士院会員に選出された。学界では日本労働法学会の初代代表理事をつとめた。1962年に九州大学を定年退官し、名誉教授となった。
小野寺 信(おのでら まこと、1897年〈明治30年〉9月1… 小野寺 信(おのでら まこと、1897年〈明治30年〉9月19日 - 1987年〈昭和62年〉8月17日)は、日本の陸軍軍人、翻訳家。最終階級は陸軍少将。第二次大戦末期に、在スウェーデン日本大使館の駐在武官として、ヤルタ会談での密約(ドイツ降伏から約3ヶ月後にソ連が日ソ中立条約を破棄して、対日参戦するとの最高機密情報)を早い時期に密かに入手して日本に打電・通報したことや、その後、スウェーデン王室の仲介による連合国との和平工作を行ったことで知られる。 1897年、岩手県胆沢郡前沢町(現在の奥州市)において町役場助役・小野寺熊彦の長男として生まれる。12歳の時に熊彦が病死し、本家筋の農家・小野寺三治の養子となる。
板沢 武雄(いたざわ たけお、1895年1月5日 - 196… 板沢 武雄(いたざわ たけお、1895年1月5日 - 1962年7月15日)は、日本の歴史学者。東京帝国大学教授・法政大学教授を歴任。専門は、日本近世史・日蘭貿易史。 1895年(明治28年)1月5日に岩手県南閉伊郡釜石町(現・釜石市)の天台寺門宗の名刹観音寺住持・板沢真小雄と喜智の五男として生まれた。旧制遠野中学校に入学し、中学時代に『台湾文化志』の著者・伊能嘉矩の家に寄寓してその感化を受け、これがのちに歴史学を志す契機となった。中学卒業後に第二高等学校に進学し、1916年7月に同校大学予科第一部英文科卒業。同年9月に東京帝国大学文科大学国史学科に進んだ。1919年7月に卒業。 その後、宮内省図書寮勤務を経て、1921年に学習院講師となり、翌年教授に就任した。
万 富次郎(よろず とみじろう、1887年(明治20年)12… 万 富次郎(よろず とみじろう、1887年(明治20年)12月16日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。東京市本所区長。 岩手県和賀郡十二鏑村(現在の花巻市)出身。岩手県立遠野中学校、第一高等学校を経て、1916年(大正5年)に東京帝国大学法科大学を卒業した。長崎県警部、同工場課長、保安課長、商工水産課長、農林課長、長野県蚕糸課長、地方課長、庶務課長、宮崎県学務部長、愛媛県警察部長、宮城県警察部長、佐賀県内務部長を歴任した。 退官後は東京市本所区長、東京市社会局庶務課長、同職業課長、日本米穀株式会社名古屋支店長を務めた。
船越 由佳(ふなこし ゆか、6月11日 - )は、日本の女性… 船越 由佳(ふなこし ゆか、6月11日 - )は、日本の女性シンガーソングライター兼プログレ・アーティスト。岩手県遠野市出身。血液型O型。岩手県遠野市が提唱する民話のふるさと遠野大使も務める。 スタジオ・ミュージシャンやアマチュア・ライブ活動を経て、1998年、シングル「青空のDance」でプロ・デビュー。翌年、音楽専門誌『CDジャーナル』にて、最も期待される新人アーティストに選ばれる。 J-POP時代は3枚のアルバムをリリース、ライブ活動やラジオ番組のパーソナリティなどで活躍。その他にも、劇中音楽や朗読劇などの音楽を担当。 現在は2009年に結成されたプログレッシブ・ロック・バンド、Yuka & Chronoshipを中心に活動し、これまでに3枚のアルバムを世界各国でリリースしている。
菊池 洋二(きくち ようじ、)は、岩手県遠野市出身の元サッカ… 菊池 洋二(きくち ようじ、)は、岩手県遠野市出身の元サッカー選手。 遠野高校から中央大学へ進学。 1972年読売クラブへ入団。1973年からはチームの主将も務めた。 引退後は地元に戻り饅頭屋を経営(2025年5月まで)。読売クラブOB会『CLUB1969』の会長も務めている。