林 清一(はやし せいいち、1915年10月31日 - 19… 林 清一(はやし せいいち、1915年10月31日 - 1990年5月23日)は、愛知県出身のプロ野球選手(外野手)。
立命館大学:57人
林 清一(はやし せいいち、1915年10月31日 - 19… 林 清一(はやし せいいち、1915年10月31日 - 1990年5月23日)は、愛知県出身のプロ野球選手(外野手)。
江口 行男(えぐち ゆきお、1915年4月4日 - 没年不明… 江口 行男(えぐち ゆきお、1915年4月4日 - 没年不明)は、愛知県出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは一塁手、二塁手。
青柴 憲一(あおしば けんいち、1912年9月1日〈大正元年… 青柴 憲一(あおしば けんいち、1912年9月1日〈大正元年〉 - 1945年11月1日〈昭和20年〉)は、京都府出身のプロ野球選手(投手)。 1930年に立命館大学野球部に所属。1932年から1933年頃、旧関西六大学リーグ戦での快速球は京都の野球界を風靡しており、京都商業学校時代の沢村栄治から目標とされる程の存在だった。また、島秀之助も戦前で最も印象に残った選手の一人として、青柴憲一の名を挙げている。大学時代のチームメイトに後藤正・村川幸信(社会人野球の明電舎でもバッテリーを組んだ)がいる。 立命館大学を中退して、渡辺商店や東洋ベアリングでプレー。1934年のベーブ・ルース率いる全米選抜チーム来日時には、11月8日の湯の川球場(北海道函館市)での試合に全日本選抜チームの投手として先発。
後藤 正(ごとう ただし、1912年8月13日 - 1937… 後藤 正(ごとう ただし、1912年8月13日 - 1937年7月28日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(一塁手)。 神戸市立第一神港商業学校(現・神戸市立神港高等学校)在学中に甲子園に2回出場(春2回〔1929年、1930年〕)。チームの2連覇に一塁手として貢献。自身も1929年春の大会で、打撃賞と塁打賞を受賞した。第一神港商卒業後は慶應義塾大学に進むも中退し、立命館大学に転校して卒業。立命館大学時代のチームメイトに青柴憲一(後に巨人)、村川幸信(後に大東京)がいる。 1936年、名古屋軍の結成に参加し、そのまま入団。堅実な打撃と守備で、草創期の名古屋軍を支えた。4番高橋吉雄の後の5番打者を打つことが多かった。
村川 幸信(むらかわ ゆきのぶ、1911年6月7日 - 没年… 村川 幸信(むらかわ ゆきのぶ、1911年6月7日 - 没年不明)は、香川県出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手)。 高松中学(現・香川県立高松高等学校)在学中には、梶原英夫(のち東大野球部でプレー。1943年に戦病死)とバッテリーを組んでいたが、野球に熱中する余り、学業が疎かになり落第。仕方なく高松中を中退し、大谷中学校(京都府)の4年生に編入。ここで、当時一塁手だった青柴憲一(のち東京巨人軍に在籍)と出会い、青柴を投手に転向させ、たちまち名バッテリーとして京都府下では評判になった(甲子園出場は果たせなかった)。 1931年に青柴と共に、前年(1930年)に旧関西六大学野球連盟に加盟したばかりの立命館大学野球部に所属。
川村 徳久(かわむら とくひさ、1911年4月25日 - 1… 川村 徳久(かわむら とくひさ、1911年4月25日 - 1944年)は、兵庫県出身のプロ野球選手(二塁手、三塁手、遊撃手)。妻は宝塚歌劇団18期生の秦都美子。
木全 竹雄(きまた たけお、1910年5月14日 - 没年不… 木全 竹雄(きまた たけお、1910年5月14日 - 没年不明)は、愛知県出身のプロ野球選手(ポジションは外野手)。