前田 稔靖(まえだ としやす、1889年(明治22年)11月9日 - 1945年(昭和20年)12月4日)は、日本の内務官僚。小倉市助役。九州帝国大学学生主事、講師。九州法学校設立者。福岡県出身。 福岡県企救郡足立村(現北九州市小倉北区)の素封家に生まれる。旧制豊津中学校(現福岡県立育徳館中学校・高等学校)、第一高等学校を経て、1915年、京都帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年10月、文官高等試験行政科試験に合格し、大阪市役所を経て台湾総督府に移り、1922年、台湾総督府財務局事務官で退官し、その後、長崎高等商業学校教授に就任した。 1926年から1929年まで小倉市助役を務めた。また時の市長・神崎慶次郎と共に陸軍造兵廠を誘致した。
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