稲垣 仲静(いながき ちゅうせい、本名:稲垣 廣太郎(いながき ひろたろう)、1897年(明治30年) - 1922年(大正11年)6月25日)は、大正時代の日本画家。京都市出身、 日本画家で工芸図案家の稲垣竹埠の長男に生まれ、克明な自然描写の中に官能性や凄みを表現する画家として、将来を期待されながらも早逝した。 弟は型絵染の人間国宝に認定された染織家の稲垣稔次郎。 1912年(明治45年)に京都市立美術工芸学校(美工)に入学し、京都派の基礎とも言える写生技術を身につけた。1917年(大正6年)京都市立絵画専門学校(絵専)に進学し、翌1918年(大正7年)に美工出身者の研究団体「密栗会」に参加した。
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