梅原 文雄(うめはら ふみお、1912年(明治45年)6月6日 - 1986年(昭和61年)11月14日)は、日本の実業家、合唱指揮者。元共和証券株式会社取締役常務、逝去時同社監査役。 神奈川県に生まれる。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て、1935年(昭和10年)慶應義塾大学経済学部卒業。在学時は慶應義塾ワグネル・ソサィエティーに所属。バリトンソリスト及び学生指揮者として活躍した。木下保に師事。 1935年(昭和10年)から家業の共和証券株式会社に奉職。 1939年(昭和14年)に、慶應ワグネルの指揮者であった山口雅章が死去し、その後「やむをえず」(第88回定期演奏会(1963年)プログラムにおける梅原の寄稿より)OBの梅原が合唱パートの指揮者を引き継ぐこととなった。
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