篠原 弘道(しのはら ひろみち、1913年〈大正2年〉8月15日 - 1939年〈昭和14年〉8月27日)は、大日本帝国陸軍の軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少尉。通り名・異名は「東洋のリヒトホーフェン」。 日本陸軍のトップ・エースの一人として総撃墜数58機を誇り、これは1939年5月27日の初陣から同年8月27日に戦死するまでのわずか3か月の間に達成された。また、1回の空戦で11機の敵機を撃墜した記録をもつ。 1913年8月15日栃木県河内郡雀宮村大字東谷(現:宇都宮市東谷町)生まれ。父庄蔵、母はる。雀宮尋常小学校東校(現:宇都宮市立雀宮東小学校)を経て1931年(昭和6年)下野中学校卒業後、12月に騎兵の現役志願兵として羅南の騎兵第27連隊に入営。
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