中村 春堂(なかむら しゅんどう、慶応4年7月3日〈1868年8月20日〉 - 1960年〈昭和35年〉3月14日)は、日本の能書家。漢学者中村芳平の子。豊前国仲津郡祓郷村大字田中(現在の福岡県京都郡みやこ町田中)出身。名は尚友、字は玄郷、通称を楳太郎(梅太郎)、雅号を春堂または耕心斉と称した。 旧制豊津中学校(豊津高校→現福岡県立育徳館中学校・高等学校)を経て、大分県中津町の河野私塾に学んだ後、郷里で初等教育に従事していたが、1896年(明治29年)に上京。法制局長官・末松謙澄(現行橋市出身)の推薦により内閣法典調査会に奉職した。勤務のかたわら専修学校(現専修大学)に入学して、法律学・経済学を学んだ。
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