本田 恒之(ほんだ つねゆき、文久2年4月14日(1862年5月12日) - 昭和9年(1934年)2月4日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党→立憲同志会→憲政会→立憲民政党)、弁護士。 肥前国高来郡島原町に下田寛平の三男として生まれる。1882年(明治15年)、本多源吉の養子となった。専修学校(現在の専修大学)法律経済科を卒業し、弁護士となった。初めは東京市日本橋区に開業したが、後に長崎市に移った。長崎市会議員、長崎県会議員を経て、1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後7回当選を重ねた。 加藤高明内閣・第1次若槻内閣で司法政務次官を務めた。
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