渋谷 巌(しぶや いわお、1914年9月28日 - 2003年12月13日)は、日本の航空技術者。中島飛行機の課長、東北大学の教授、富士重工業の常務などを務めた。戦前は一〇〇式重爆撃機「呑龍」の構造設計、超大型爆撃機「富嶽」の開発など、戦後はジェットエンジン「JO-1」の開発などを手掛けた。 旧制富山高校を経て、東京帝国大学に入学した。とくに航空を好きなわけではなかったが、数学が好きで難しいなら受けようと思い、難関の航空学科に受験したという。教師からは難しいが、渋谷なら入れるだろうと言われたという。1937年(昭和12年)3月、東京帝国大学工学部航空学科を卒業。同期は東條輝雄、内藤子生、高山捷一などで「花の十二年組」と呼ばれた。
出典:ウィキペディア「渋谷巌」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
