島田 朋三郎(しまだ ともさぶろう、1882年(明治15年)3月12日 - 1945年(昭和20年)9月4日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍法務中将。 1882年(明治15年)に徳島県で生まれた。東京帝国大学法学部を卒業し、高等試験司法科試験に合格。文官として陸軍法務部に奉職する。各師団の法務部長などを歴任し、甘粕事件・五・一五事件の軍法会議に法務官として参加している。その後第1師団法務部長に就任し、1935年(昭和10年)に発生した相沢事件を裁いた軍法会議に検察官として参加し、相沢三郎に死刑を求刑した。 1938年(昭和13年)に関東軍隷下の第4軍法務部長に転じ、1939年(昭和14年)に支那派遣軍法務部長を経て、1940年(昭和15年)に東部軍法務部長に就任。
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