長谷川 治良(はせがわ はるよし、1891年(明治24年)1月1日 - 1980年(昭和55年)3月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 東京府出身。1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官した。1915年(大正4年)12月、陸軍砲工学校高等科(21期)を優等で卒業した。また、陸軍派遣学生として東京帝国大学工学部火薬学科で学び、1919年(大正8年)7月に卒業した。 1926年(大正15年)8月、砲兵少佐に進級。1931年(昭和6年)8月、砲兵中佐に進み、1932年(昭和7年)8月、陸軍造兵廠廠員に就任。1934年(昭和9年)12月、火工廠作業課長に転じ、1935年(昭和10年)8月、砲兵大佐に昇進した。
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