細谷 雄太(ほそや ゆうた、1882年4月28日 - 1950年11月20日)は、日本の俳人。医学博士。俳号は細谷不句。別号に柚翁。 1882年4月、山形県西村山郡谷地町(現・河北町)生まれ。旧制第一高等学校、東京帝國大学医科大学を卒業。 最初は定型俳句の俳人として「一高俳句会」に所属。のち新傾向俳句の河東碧梧桐に師事、また荻原井泉水とも交流する中で新傾向、自由律俳句に傾倒する。新傾向俳句機関誌『層雲』の同人となり、のちに自由律俳句誌の『海紅』創刊にも参加。古くからの碧門だったが、碧梧桐が海紅離脱後に立ち上げた『碧』や『三昧』にはついて行かず、中塚一碧楼が主宰となった海紅に残った。それでも1937年(昭和12年)1月に碧梧桐が危篤状態に陥ると真っ先に見舞いに詰めかけている。
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