菊池 仁康(きくち にこう、1895年〈明治28年〉5月29日 - 1967年〈昭和42年〉9月14日)は、大正から昭和中期の青森県の実業家でロシア文学者。実業家としては板柳銀行頭取を務め、合併後の青森銀行では取締役となったほか、菊屋百貨店社長としても活躍した。 その一方で、ドストエフスキーやプーシキンの翻訳を行うなどロシア文学者としても知られ、詩人福士幸次郎の地方主義運動に参加するなど文化人としても足跡を残した。 青森県北津軽郡板柳村(現・同郡板柳町)出身。父・菊池仁了、母・たかの長男として生まれる。(旧制)県立青森中学校卒業後、上京し、明治大学政治経済科を中退した後、ニコライ露西亜神学校、東京外国語学校(現・東京外国語大学)でロシア語を学ぶ。
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