山口 熊野(やまぐち ゆや、元治元年11月11日(1864年12月9日) - 昭和25年(1950年)6月24日)は、日本の実業家、政治家。紀勢本線敷設の功労者。 元治元年(1864年)11月11日、紀伊国牟婁郡浦神村(現:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浦神)で山口俊道の長男として生まれる。幼名は俊太。和歌山医学校を経て東京外国語学校ドイツ語科を卒業し、東京大学予備門に転じて医学部への入学準備に専念した。しかし、当時盛んになっていた自由民権運動に共鳴して板垣退助の自由党へ入党し、議会開設の急務を提唱した。 明治18年(1885年)に扶桑政談社を設立し、雑誌通信録を発行したが、法に抵触して禁固1年6ヶ月、罰金100円に処せられて投獄された。
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