平子 鐸嶺(ひらこ たくれい、1877年5月4日 - 1911年5月10日)は、日本の美術史家である。本名は平子 尚(ひらこ ひさし)。「鐸嶺」の号は、郷里である鈴鹿の嶺に由来するものである。ほかに昔瓦・鈴岱子・古柏艸堂主人・古柏陳人・塵庵といった号をもった。 1877年(明治10年)5月4日、三重県津町片浜町(現在の津市東丸之内近辺)に長子として生まれる。父の尚次郎は「津の断髪三人男」とも呼ばれた開明的な人物で、横浜で生糸貿易商を営み、帰郷ののちは弁理士、米穀商、妓楼の運営、参宮鉄道の建設などに参画した。母のかうは津の呉服商・伊阪屋の長女で藩主・藤堂家の奥向として仕えた。 津市立養正小学校を経て、1889年(明治22年)に旧津藩士のための私塾である励精館に入学。
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