三友 國五郎(みとも くにごろう、1904年 <明治37年> - 1983年 <昭和58年> 3月1日)は、日本の地理学者、考古学者。吉野ヶ里遺跡の発見者。位階は正四位。 埼玉県大里郡久下村(現・熊谷市)に生まれる。 旧制埼玉県立熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校)、旧制浦和高等学校(現・埼玉大学)を経て、1931年に京都帝国大学文学部史学科を卒業した。 卒業後は旧制福岡県立東筑中学校(現・福岡県立東筑高等学校)の教諭となる。当地では北九州郷土史研究会に参加した。1934年に吉野ヶ里遺跡を学会に報告し、七田忠七とともに発見者となった。 1938年に日本統治下の朝鮮にあった旧制平壌第三中学校に転任、1940年に旧制平壌第一中学校に移る。
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