李 雨茁(イ・ウジュルまたはイ・ウチュル、朝鮮語: 이우줄または이우출、1913年9月27日または1914年または1915年9月27日 - 1976年1月4日)は、大韓民国の教育者、政治家。大邱市議会議員、第3・4代韓国国会議員を歴任した。 祖父の李圭晙は韓方医である。 大邱府(現・大邱広域市)出身。日本大学法学部卒。慶尚北道民族自決闘争本部総司令、嶺南保安隊副隊長、徳化公民学院設立者、大邱市議会文教分科委員長、罹災民同胞自治会委員長、徳化中学校(現・青丘高等学校(朝鮮語版))校長(1954年時点)、大韓傷痍軍人会慶北支部顧問、自立更生院顧問を務めた。自由党所属で第4代国会議員に就任した直後、1958年7月の再検票により林文碩の方が2800票差で勝ったとわかったため、当選無効判決により議員資格を失った。
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