尼子 四郎(あまこ しろう、慶應元年(1865年)- 昭和5年(1930年)7月7日)は、日本の医学者、出版・編集者。字は信久、石筍と号す。 1865年、安芸国山県郡戸河内村本郷(現在の広島県安芸太田町)生まれ。家系は尼子氏の流れを組み、代々庄屋をつとめた。しかし維新の社会的変動で庄屋職の父は没落、母は四郎出産後死亡し、不遇な環境で育った。 12、3歳の頃、広島に出て漢学を学ぶ。1887年、広島医学校(現・広島大学医学部)を首席で卒業。同級に富士川游ら。一年研修の後1888年、新設された東京帝国大学医科大学選科・青山内科に入った。しかし1890年、腸チフスに罹って中退。離京して島根県益田市で静養した後、郷里・戸河内村や山口県下松市で開業するが、カリエスに罹患するなどで医院を畳み、再び東京に出る。
出典:ウィキペディア「尼子四郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
