上松 蓊(うえまつ しげる、 1875年 - 1958年)は、日本の実業家。古河鉱業門司支店長を務めたのち、製紙会社を興した。また、南方熊楠の門弟として熊楠を支援し、小畔四郎・平沼大三郎と共に熊楠門の三羽烏といわれた。 1875年生まれ。新潟県長岡出身。安部井磐根(衆議院副議長)の猶子となる。 東京英語専修学校(現・立教大学)を卒業後、古河鉱業に入社。 その後、同社門司支店長となるが、40歳になる前に退職し、東京で製紙会社を興して経営する。 同郷の友人である小畔四郎の紹介により南方熊楠と知り合い、南方の支援を行うようになる。現存する南方の上松に宛てた書簡は500通にも及ぶが、最初の書簡は、1914年(大正3年)12月9日付のもので、当時、上松は39歳であった。
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