有名人ナビ トップページ
人物データベース×観光資源
工

工藤精一 (地質学者)

くどう せいいち
Wiki ↗

工藤 精一(くどう せいいち、1855年3月 - 1906年12月)は、明治時代の教育者、化学者、地質学者。開拓使派遣留学生として米国留学し、帰国後に札幌農学校(現・北海道大学)教授(助教)、立教学校及び立教大学校(現・立教大学)教授、専修学校(現・専修大学)教授を務めた。札幌農学校教員時代には、演武場(現・札幌市時計台)の時計保守も担い、運用を開始した。開拓使官員、陸軍通訳官も務めたほか、英語学習書を出版するなど、明治期の英語教育の発展に尽くした。別名、精一郎。 東京生まれ。1872年3月26日(旧暦明治5年2月18日)、17歳の時、開拓使派遣留学生として横浜港から飛脚船「アメリカ号」で米国サンフランシスコへ向けて出航。

出典:ウィキペディア「工藤精一 (地質学者)」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋