永松 達吾(ながまつ たつご、 1868年1月9日(慶応3年12月15日)- 没年不詳)は、明治期から大正期に活躍した日本の実業家、ジャーナリスト。玉川電気鉄道株式会社(現・東急株式会社)代表取締役、草津軽便鉄道創立委員総代、時事新報記者、西武軌道(後の都電杉並線)取締役、交詢社評議員。 豊前国宇佐郡、のちの駅館村(現大分県宇佐市)で永松貞民の長男として生まれた。大阪・英和学舎(現・立教大学)を経て、慶應義塾にて修学。 1891年(明治24年)、横浜の生糸問屋に勤務する傍ら『横浜蚕糸貿易事情』を出版。 その後、時事新報の記者となり、時事新報において『群馬県下の蚕業』などを執筆したのち、東京信託会社に務める。
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