岡崎 賢次(おかざき けんじ、1862年2月18日(文久2年1月20日)- 1922年(大正11年)2月14日)は、明治から大正期の弁護士、公証人、実業家、政治家、自由民権運動家。衆議院議員、高知市会議長。 土佐国土佐郡、のちの高知県土佐郡初月村(現高知市)で、土佐藩士・岡崎賢七の長男として生まれる。1883年(明治16年)12月、家督を相続した。1885年(明治18年)東京専門学校(現早稲田大学)法律科を卒業した。 1887年(明治20年)3月、公証人となる。同年9月、代言人試験に合格し、同年11月、高知市で代言人(弁護士)を開業した。講法館、法学館の講師を務めた。自由民権運動に加わり、三大事件建白運動にも参加。
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