中嶋 太郎(なかしま たろう、1888年〈明治21年〉8月19日 - 1973年〈昭和48年〉3月16日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)、諫早市長。位階は正五位。勲三等瑞宝章綬章。 長崎県出身。1914年(大正3年)早稲田大学専門部政治経済科卒。コロンビア大学大学院に留学し、記者として二六新聞社などで勤務する。その後、1947年(昭和22年)、諫早市長選挙に立候補して当選。同年4月8日、初代公選市長となった。市長在任中は市立中学の開校、市役所機構の再編、自治体警察の設置、諫早球場の開場など市制改革に追われた。1951年(昭和26年)に再選。翌1952年(昭和27年)4月3日に退任した。第25回衆議院議員総選挙において長崎1区から改進党で立候補したが落選。
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