上崎 辰次郎(こうざき たつじろう、1860年(万延元年) - 1895年 (明治28年)3月14日)は、日本の海軍軍人。日清戦争においてその責任感から自決した上等兵曹(当時は准士官)である。 陸奥国北会津郡若松町(現在の福島県会津若松市)出身。上崎家は会津藩士で、禄百石。幕末の当主で父の上崎且馬は番頭組外様士を勤め、桑名藩部隊の軍目付として戊辰戦争で討死した。兄の辰太郎は台湾守備砲兵第三大隊長で死去した陸軍砲兵少佐、甥に野澤北地がいる。1873年(明治6年)、二等若水夫として海軍に採用され、台湾出兵、西南戦争に従軍し、上等兵曹へ進んだ。横須賀水雷隊攻撃部、対馬水雷隊攻撃部を経て、第三水雷艇隊附として日清戦争に参戦し、機雷群突破、防材破壊などに軍功があった。
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