石橋 孫八(いしばし まごはち、1847年〈弘化4年〉 - 1915年〈大正4年〉5月7日)は、日本の政治家、島根県の地主。島根県会議員。衆議院議員(島根県第三区選出、当選1回)。族籍は島根県平民。 出雲国楯縫郡平田村(島根県楯縫郡平田町、簸川郡平田町、平田市を経て現出雲市)出身。家は代々農業を営む。漢学を修める。治水を以て大いに名がある。 1894年、第4回衆議院議員総選挙で島根県第3区より選ばれて衆議院議員となる。国民協会、大手倶楽部に所属。第11議会解散後候補を伊藤啓一郎に譲る。 住所は島根県簸川郡平田町(のちの平田市、現・出雲市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
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