前田 正名(まえだ まさな、1850年4月23日(嘉永3年3月12日) - 1921年(大正10年)8月11日)は、明治期日本の官僚。男爵。幼名・弘庵。明治政府の殖産興業政策の政策立案と実践した中心人物である。 薩摩国(鹿児島)揖宿郡山川郷の漢方医田善安の六男。山川郷もしくは、鹿児島城下の後の鹿児島市小川町に生まれる。兄・献吉より15歳年下である。9歳で緒方洪庵門下の蘭学医・八木称平(薩摩藩開成所教授)に師事して住み込み、蘭学や貿易実務を学ぶ。八木が行なっていた琉球密貿易も手伝った。1865年(慶応元年)の薩摩藩第一次英国留学生の選抜にもれるも、同年、長崎への藩費遊学を許可され、砲術家で科学者の薩摩藩外国掛・中原猶介の紹介で何礼之塾に入塾する。
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