狩野 揆一郎(かのう / かの きいちろう、1850年6月24日(嘉永3年5月15日)- 1893年(明治26年)3月5日)は、明治期の官吏、実業家、政治家。衆議院議員。名・順、名・天佑、号・尚堂、通称・揆一郎。 下総国印旛郡山田村(千葉県印旛郡山田村、六合村、印旛村を経て現印西市)で、豪農、酒醸造業を営む狩野家に生まれた。佐倉の郷儒・島田から学び、さらに江戸の安井海保に師事して漢学を修めた。 廃藩置県後、印旛県から里正、戸長に任じられ、1873年(明治6年)10月、印旛・南相馬郡学区取締に就任。 1876年(明治9年)内務省に出仕し、図書局、戸籍局で勤務した。1880年(明治13年)千葉県に転じ、庶務、学務を担当。
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