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中島精一

なかじま せいいち
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中島 精一(なかじま せいいち、嘉永元年(1848年)10月 – 1941年(昭和16年)3月9日)は明治時代の長野県の政治家、蚕種製造業者。名は直寿、号は菊堂。小県郡秋和村庄屋、長野県会議員、更級郡長兼埴科郡長、上水内郡長、小県郡長、東筑摩郡長、茨城県警部長。 嘉永元年(1848年)10月信濃国小県郡下塩尻村(長野県上田市下塩尻)に母袋忠右衛門康保と北村氏の子として生まれた。幼くして両親を喪い、秋和村(上田市秋和)庄屋中島林太郎直道の養子となった。明治元年(1868年)8月養父直道が病没し、庄屋職を継いだ。 明治2年(1869年)7月浅間で駅逓司制度の改良会議に参加したが、議論は捗らず、帰郷した。

出典:ウィキペディア「中島精一」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋