飯田 俊助(いいだ としすけ、1846年9月30日(弘化3年8月10日) - 1914年(大正3年)3月23日)は、日本の陸軍軍人、華族。最終階級は陸軍中将。男爵。 長門国厚狭郡宇部村(現・山口県宇部市)生まれ。長州藩家老福原家家臣・飯田直規(勘右衛門)の四男として生まれる。幼名は益雄。幼少期に両親を失う。豊後国の広瀬青邨に漢学を学ぶが、下関戦争の報を聞き直ちに帰国、福原越後に従って国事に奔走。その後奇兵隊に入隊し第二次長州戦争・戊辰戦争に従軍した。 1873年(明治6年)2月、歩兵少尉に任官。1874年(明治7年)9月、歩兵中尉となり、西南戦争では歩兵第2連隊第一中隊長として田原坂の戦いに参加した。
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