大久保 源吾(おおくぼ げんご、1858年12月23日(安政6年11月30日) - 1940年(昭和15年)11月2日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 下野国都賀郡押切村(栃木県下都賀郡寒川村、間々田町を経て現小山市)で、古河藩大庄屋・名主の大久保源吾の息子として生まれた。和学と漢学を学ぶ。農業を営み、押切村副戸長、戸長、寒川村議、同村長、下都賀郡会議員、栃木県議、所得税調査委員となる。 1915年の第12回衆議院議員総選挙において栃木県郡部から立憲同志会公認で立候補したが落選。1916年に繰り上げ当選となった。1917年の第13回衆議院議員総選挙では憲政会から立候補したが落選。1920年の第14回衆議院議員総選挙では栃木4区から立候補したが落選した。
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