久木村 治休(くきむら じきゅう、天保14年〈1843年〉10月 – 昭和12年〈1937年〉10月20日)は、薩摩藩出身の武士、のち警察官・軍人(陸軍少佐)。生麦事件でイギリス人チャールス・リチャードソンを殺傷した。 大隅国国分郷浜之市(現霧島市)の人。山本勇右衛門の三男として生まれた。山元定蔵の弟で、のち久木村家へ入った。 文久2年(1862年)、島津久光の東上に従い江戸へ向かい、その帰途、生麦村で奈良原繁らとともに外国人を殺傷した(生麦事件)。鉄砲隊に属していた治休は、一太刀を浴びせたと伝えられる。 昭和11年に雑誌『話』へ寄せた本人の回想によれば、当時外国人4名は行列を避けながら徐行しており「踏み込み」の事実はなく、後方で既に斬られて負傷した者が自分の前を通過しようとしたため、とっさに横一文字に斬りつけたという。
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