矢野 祐弘(やの すけひろ、1931年1月6日 - 1993年6月11日)は、愛媛県出身のアマチュア野球の野球指導者。 西条高校(旧制西条中学校)を経て、立教大学に進学し野球部に属したが、2年で中退。1950年3月に母校の西条高校の監督に就任した。1956年の選抜高校野球で初めて甲子園への出場を果たし、1959年の全国高校野球では、エースの金子哲夫を擁し、初めて全国制覇を果たした。1962年の岡山国体でも優勝を果たした。 実績を買われて、1965年から1977年までの間、亜細亜大学の監督を務めた。山本和行投手を擁し1971年春に東都大学野球リーグで亜大3回目の優勝を果たすと、全日本大学野球選手権大会で法政大学を破り亜大を全国大会初優勝に導いた。
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