塩飽 玉男 (しわく たまお、1906年5月12日 – 1990年12月15日)は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。1936年ベルリンオリンピックに日本代表選手としてマラソンに出場した。 当時大規模な入浜式塩田を擁していた坂出周辺では、「浜子」と呼ばれる塩田労働者が塩田内で仕事として終日走る生活を送っていた。1919年にはマラソンへの関心に火がつき、地元出身で1920年アントワープオリンピック陸上競技代表選手となった大浦留市(東京高等師範学校)が、帰国後に郷里で開かれたロードレースで2人が自分より上位に入ったことを評価・激励したこともそれを後押しした。1928年アムステルダムオリンピックのマラソンに「浜子」出身の山田兼松が4位入賞を果たし、それを追う形で楠好蔵や塩飽も陸上競技に進んだ。
出典:ウィキペディア「塩飽玉男」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
