石井 義太郎(いしい よしたろう / ぎたろう、1866年9月5日(慶応2年7月27日) - 1927年(昭和2年)2月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 佐賀城下水ヶ江にて、士族石井忠方の子として生まれた。生家は佐賀藩主鍋島氏の藩祖以来の外戚家門で、祖父石井忠彬は、藩の重職にあった。 明治19年(1886年)12月、海軍兵学校(12期)を卒業。兵学校時代の同期生には、同じ佐賀県出身の江頭安太郎らがいた。1888年(明治21年)1月、海軍少尉に任官。 明治25年(1892年)12月、海軍大尉に昇進し「筑波」航海長に就任。以後、「千代田」「扶桑」「吉野」「金剛」の各航海長を歴任。明治31年(1898年)2月、海軍少佐に昇進した。
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