合田 福太郎(ごうだ ふくたろう、1860年6月23日(万延元年5月5日)‐ 1921年(大正10年)5月29日) は、明治から大正期の日本の政治家。衆議院議員、愛媛県宇摩郡土居村長。 伊予国宇摩郡、のちの愛媛県宇摩郡土居村(土居町を経て現四国中央市) で、精米・瓦製造業、会田基次郎の長男として生まれた。小学校卒業後、尾崎山人(星山)の松菊舎に入り漢学を修めた。1882年(明治15年)愛媛県師範学校高等師範科を卒業した。 郷里の小学校で訓導兼校長を務めた。1889年(明治22年)町村制の施行に伴い土居村が発足すると初代村長に就任した。1891年(明治24年)11月、愛媛県会議員に選出され1898年(明治31年)まで在任。
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