竹内 明太郎(たけうち めいたろう、1860年3月20日(万延元年2月28日) - 1928年(昭和3年)3月23日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(高知県第五区選出、当選3回)。族籍は東京府士族。 現在の高知県宿毛市出身。竹内綱の長男。父に従い大阪、東京に赴き、同人社で英語、仏学塾でフランス語を学び、父と一緒に自由党に尽くし、『東京絵入自由新聞』の経営に従事したが、鉱山業、鉄工業に転じて、父の経営する佐賀県の芳谷炭鉱の主宰となる。1901年(明治34年)欧米を漫遊して鉱山業を視察し、新式の機械を購入して帰国。 1902年(明治35年)には遊泉寺銅山の開発に着手すると、1917年に遊泉寺銅山の附属施設として小松鉄工所(後の小松製作所)を設立した。
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