篠崎 清次(しのざき せいじ、1881年〈明治14年〉1月24日 - 1917年〈大正6年〉6月20日)は、日本の盲教育者、聾唖教育者。北海道で最初に聾唖教育を行なった人物であり、北海道の聾唖教育の父といわれる。東京市本所区松坂町(後の東京都墨田区両国)出身。 幼少時の眼病により、ほぼ失明に近いほどの極度の弱視となった。愛知県西加茂郡挙母の外四ヶ村立小学校高等科を卒業後、眼病のために仕事が長続きせず、姉の嫁ぎ先を頼って北海道函館区(後の函館市)へ渡るなどして職を転々としていたところ、視覚障害児のための教育団体である函館訓盲会(後の北海道函館聾学校)の存在を知った。1897年(明治30年)より勉学に励み、翌1898年(明治31年)に同会の教員となり、盲教育の道に入った。
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