章 士釗(しょう ししょう)は中華民国の政治家・革命家・教育者・ジャーナリスト。清末は華興会に属する。北京政府で教育総長などの要職についた。字は行巖。筆名は黄中黄、爛柯山人、弧桐、青桐、秋桐など。 1901年(光緒27年)、武昌の両湖書院で学ぶ。その後、朱啓鈐の塾で教師の1人となった。翌年、南京陸軍学堂で軍事を学び、上海愛国学社に加入する。1903年(光緒29年)5月、上海で『蘇報』の編修となり、冬には、黄興らと華興会を組織した。 1905年(光緒31年)、章士釗は日本へ渡り、正則学校で英文を学び、法政大学法政速成科に入学する。1908年(光緒34年)、エディンバラ大学に留学して、法律・政治を学んだ。
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