福西志計子(ふくにし しげこ、弘化4年12月13日(1848年1月18日) - 明治31年(1898年)8月21日)は、日本の教育者、キリスト教信徒。幼名(本名)は福西繁(ふくにし しげ)であり、信仰者・教育者として職に携わるにあたっては名を読み替えて志計(しげ)ないしは志計子(しげこ)と名乗る。岡山県高梁市において岡山県初の女学校である順正女学校を設立した事により、同地において女子中等教育の実践を通し高等教育普及の礎を築いた人物。 幼少時、隣家の儒学者・山田方谷に漢学をはじめとした種々の教養を学び、17歳にて婿養子を迎えて結婚。のち29歳にて岡山裁縫伝習所において裁縫の伝習術を修め、高梁小学校附属裁縫所の教師となる。
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