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石谷伝四郎

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石谷 伝四郎(石谷 傳四郎、いしたに でんしろう、1866年6月12日(慶応2年4月29日)- 1923年(大正12年)12月19日)は、明治から大正期の実業家、政治家。鳥取県平民。鳥取県多額納税者。 因幡国智頭郡、のちの鳥取県智頭郡智頭村(八頭郡智頭村を経て現智頭町)に生まれる。石谷伝九郎の長男。石谷家は智頭四軒衆と呼ばれた素封家のひとつで、山林経営によって江戸時代の大庄屋から智頭の筆頭地主となった豪家。 慶應義塾を卒業し、家業を継いだ。町会議員、県会議員となって活躍した。 1898年(明治31年)には衆議院議員に初当選し、その後も2回再選された。1903年(明治36年)春、日本美術院長の岡倉天心が智頭町にある豊乗寺の国宝調査に訪れた際、国米泰石の技量の高さを岡倉天心に示したところ、国米泰石は岡倉天心に招かれて日本美術院に入ることとなった。

出典:ウィキペディア「石谷伝四郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋